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瑞鳳殿

宮城県仙台市にある伊達政宗の霊廟 From Wikipedia, the free encyclopedia

瑞鳳殿(ずいほうでん)は、宮城県仙台市青葉区霊屋下にある仙台藩祖伊達政宗の霊廟である。広瀬川の蛇行部を挟んで、仙台城の本丸跡と向かい合う経ヶ峯に位置する。元々あった建物は仙台空襲で焼失したが、戦後に復元された。

分類 都市公園 > 特殊公園 > 歴史公園
所在地
宮城県仙台市青葉区霊屋下135 ほか
面積 6.5381ha
運営者 公益財団法人瑞鳳殿
概要 経ヶ峯公園 (経ヶ峯歴史公園), 分類 ...
経ヶ峯公園
(経ヶ峯歴史公園)
園内にある藩祖政宗廟「瑞鳳殿」
瑞鳳殿の位置(仙台市中心部内)
瑞鳳殿
分類 都市公園 > 特殊公園 > 歴史公園
所在地
宮城県仙台市青葉区霊屋下135 ほか
面積 6.5381ha
運営者 公益財団法人瑞鳳殿
駐車場 20台(無料)
アクセス

仙台市営バス「向山二丁目」バス停で下車

るーぷる仙台「瑞鳳殿前」バス停で下車
事務所 公益財団法人瑞鳳殿管理事務所
事務所所在地 宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2
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全ての座標を示した地図 - OSM
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瑞鳳殿の周辺には伊達忠宗の霊廟である感仙殿(かんせんでん)、伊達綱宗の霊廟である善応殿(ぜんのうでん)、妙雲界廟(みょううんかいびょう)、御子様御廟(おこさまごびょう)といった伊達氏に関連する霊廟や付属施設があり、一帯が「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっている[1]。また、瑞鳳寺が隣接する。

歴史

仙台藩初代藩主の伊達政宗は、生前ホトトギスの初音を聞き遺骸を経ヶ峯に葬るよう遺言し、1636年(寛永13年)に没した。政宗の後を継いだ第2代藩主の忠宗は政宗の遺言に従い、翌1637年(寛永14年)10月、政宗の御霊屋(おたまや、霊廟)を経ヶ峯の東部に建立して「瑞鳳殿」と命名した。瑞鳳殿は、本殿、拝殿、唐門、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の華麗な建築を誇った。また瑞鳳殿は仙台城本丸を向くように西向きで造られた。瑞鳳殿の建築には、総奉行として奥山大学常吉、大工として米野内蔵助近吉、山内四郎兵衛貞次、装飾担当として絵師の狩野定良、中村清六常長らが関わった[2][3]。同年、瑞鳳殿の隣接地に政宗の菩提寺として「瑞鳳寺」(北緯38度15分5.4秒 東経140度51分59.9秒)が創建され、仙台藩領内の平泉の毛越寺より遷された釈迦三尊像が本尊となった。

その後、第2代藩主の忠宗を祀る「感仙殿」、および第3代藩主である綱宗の「善応殿」が共に経ヶ峯の西部に建立された。両者は瑞鳳殿と相対するように東向きで造られた。第4代以降の藩主は、経ヶ峯から南東方向にある大年寺山の墓所(北緯38度14分25.9秒 東経140度52分46.8秒)に埋葬されたが[4]、第9代藩主である周宗、第11代藩主である斉義と斉義夫人芝姫の墓は、瑞鳳殿近くの「妙雲界廟」に置かれた。

1931年(昭和6年)に瑞鳳殿は国宝に指定されたが[5]、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日にアメリカ軍による戦略爆撃(仙台空襲)によって、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿はすべて焼失した。

戦中や戦後の仙台では、空襲による樹木の焼失に加え、食料不足、エネルギー不足、住宅不足から市街地周囲の森林が伐採され、薪、炭や木造住宅資材にされたり、開拓して農地や住宅地へ転用されたりする例が多くみられた[6]。仙台市は歴史的建造物が焼失したものの樹木の伐採は逃れた経ヶ峯の保存を期し、1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)にかけて、買収および寄付により瑞鳳殿一帯の所有権を伊達家から得た[6]。それからしばらく整備などは行われなかったが、政宗生誕400周年に当たる昭和40年代になると、瑞鳳殿再建の機運が高まった[7]。

埋れ木細工の材料採取や木桶風呂(鉄砲風呂)の燃料採掘のため、経ヶ峯を含む青葉山段丘では幕末から亜炭坑道が発達したため、瑞鳳殿址でも至る所が陥没する鉱害が発生していた[6][8]。そのため、臨時石炭鉱害復旧法に基き、1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて瑞鳳殿址の地盤安定化工事が施工された[8]。また、瑞鳳殿再建工事に先立ち、経ヶ峯は「霊屋風致地区」および「霊屋保存緑地」に指定された。

1971年(昭和46年)に再建準備会が立ち上げられ、1973年(昭和48年)に再建期成会が結成された。1974年(昭和49年)に再建の起工式が行われ、併せて瑞鳳殿址の発掘調査が行われ、政宗の遺骨や副葬品などが出土した。1979年(昭和54年)に瑞鳳殿の本殿、拝殿、涅槃門、御供所が竣工し、1980年(昭和55年)に御供所が瑞鳳殿資料館として開館した。1984年(昭和59年)には感仙殿および善応殿が再建され、翌年に再建落成式が行われた[7]。

1987年(昭和62年)、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されると「政宗ブーム」が起きた。仙台には大勢の観光客が訪れ、瑞鳳殿は観光地の一つとなった。

年表

2001年の「瑞鳳殿」改修工事で復元された屋根の竜頭瓦(2007年8月)

施設一覧

瑞鳳殿の脇にある、殉死した家臣・陪臣の宝篋印塔
二代忠宗廟「感仙殿」
三代綱宗廟「善応殿」(写真左)と二代忠宗廟「感仙殿」(写真右)
瑞鳳殿資料館
瑞鳳殿
藩祖政宗廟。本殿両脇には、殉死した家臣15名および陪臣5名の宝篋印塔が並ぶ。(北緯38度15分1.6秒 東経140度52分0.1秒)
感仙殿
二代忠宗廟。本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並ぶ。(北緯38度15分3秒 東経140度51分53.3秒)
善応殿
三代綱宗廟。殉死禁止令により殉死者は無かったが、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行った。うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬された。(北緯38度15分2.3秒 東経140度51分53.3秒)
妙雲界廟
9代周宗の墓、11代斉義の墓、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓。(北緯38度15分3.7秒 東経140度51分53.3秒)
御子様御廟
5代吉村以降の藩主の夭折した子女の墓。(北緯38度15分5.5秒 東経140度51分52.4秒)
瑞鳳殿資料館
瑞鳳殿の付属施設だった御供所が再建されて資料館として利用されている。(北緯38度15分2.3秒 東経140度51分58.9秒)
弔魂碑
戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1260人の慰霊碑。高さ6.74メートル、鋳鉄製。仙台市所有[19]。

所在地と地名

「瑞鳳殿前」バス停とるーぷる仙台。(2007年8月)

瑞鳳殿の事務所の所在地は「宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2」である。かつての住所は「仙台市越路瑞鳳寺前丁20番地」で、1966年(昭和41年)に住居表示の施行により「仙台市霊屋下」へ変わり[11]、1989年(平成元年)に仙台市が政令市へ移行して現在の住所となった。「霊屋」(おたまや)とは瑞鳳殿のことであり、「霊屋下」は瑞鳳殿の麓を示すものであるが、瑞鳳殿を含む広瀬川に囲まれた一帯が霊屋下と呼ばれる。この地区の広瀬川には二つの橋が架かり、一つが評定河原橋、もう一つが霊屋橋である。霊屋下の東側には鹿落坂と呼ばれる歴史の古い坂道がある。

瑞鳳殿の最寄りのバス停留所は仙台市営バス、宮城交通の「霊屋橋・瑞鳳殿入口」、観光用路線バスるーぷる仙台の「瑞鳳殿前」である。最寄り駅は仙台市地下鉄東西線の大町西公園駅である[20]。

観覧者数

公益法人の業務・財務に関する情報公開によって公表された近年の瑞鳳殿観覧者数は以下の通り[21][22]。

さらに見る 2005年度, 2006年度 ...

2005年度 2006年度 2007年度 2008年度 2009年度
観覧者数(合計) 145,253人155,875人167,158人189,795人215,878人
内訳 大人136,431人145,194人156,174人176,527人199,164人
高校生1,590人2,110人2,107人2,174人2,802人
小中学生7,232人8,571人8,877人11,094人13,912人
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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