慶長大地震

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慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年 - 1615年)に日本列島で起こった地震慶長の大地震(けいちょうのおおじしん)ともいう。ただし、正確には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年であり、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されているため、歴史年表上では慶長元年となる。

なお、1596年に起こった複数の地震は記録の日付が錯綜しており、慶長豊後地震発生の日は9月1日[1]、9月4日説[2]、あるいは両方に起こったとするものもある[3]。また、1605年の慶長地震は定説であった南海トラフ震源ではないという異論も出され[4][5]、さらに従来三陸沖が震源とされてきた1611年の慶長三陸地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出されるなど[6]、震源域に諸説あって不明なものも多い。

慶長年間の主な地震

発震日時は全てグレゴリオ暦

  • 慶長伊予地震 - 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M7.0、寺社倒壊等。中央構造線断層帯の四国西部部分が震源断層と推定される。元々豊後地震の一部とされたが、別の地震として分離し仮定されたもの[7][8]。豊後地震と同一地震の可能性もあるとされる[9]
  • 慶長豊後地震[10] - 1596年9月1日または9月4日、豊後国をおそった地震。M7.0-7.8、死者700人以上。中央構造線断層帯の西にある別府湾-日出生断層帯東部が震源断層と推定される。
  • 慶長伏見地震[11][12][13][14] - 1596年9月5日、畿内をおそった地震。M7.0〜7.1、京都で死者合計1,000人以上。伏見城天守石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯六甲-淡路島断層帯、中央構造線断層帯の四国東部部分などが震源断層と推定される。
  • 慶長地震[15] - 1605年2月3日、関東以西の太平洋沿岸をおそった津波。被害記録のほとんどは津波によるもので、地震動に関する確かな記録は乏しい。現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来した。死者が多く発生し、例えば宍喰で3800人余りとする記録もあるが、当時の人口規模から見てその数は疑問視される[16]。従来震源断層は南海トラフ沿いで津波地震[17]と考えられていたが、紀伊半島沖と房総沖が連動したとするもの、伊豆・小笠原海溝とするものや、例えばパプアニューギニアなどの国外からの遠地津波も否定できないとする異論もある。
  • 会津地震 - 1611年9月27日、会津藩をおそった地震。M6.9。寺社損壊、死者約3,700人。
  • 慶長三陸地震[18][19] - 1611年12月2日、奥羽蝦夷地太平洋沿岸をおそった津波。被害記録のほとんどは津波によるもので、仙台藩で人の死1,783、南部藩津軽藩で人馬の死3000余。従来震源は三陸沖の日本海溝沿い考えられていたが、津波の痕跡の範囲などからこの定説に疑義があるとされ、南千島沖・北海道東部太平洋沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。地震被害の記録はほとんど無い。
  • 慶長十九年十月二十五日の地震 - 1614年11月26日に発生したとされる地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録がある。しかし京都以外の記録は地震から年月が経過した後世に記された史料であり、信憑性が低いとされ[20]、震源は不明。

出典

外部リンク

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