成川尚義
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上総国山辺郡白幡村(現千葉県山武市)に、伊志田治平(石田治平[2])の次男として生まれる[3]。同郡本須賀村・成川家の養子となり名を尚義と改める[3][4]。
幕末の動乱期に勝海舟のもとで事態の収拾に奔走した。新政府軍の江戸城入城後、追及を受けて自首するが、沈着冷静な対応により釈放された。その際、刑法官判事・中島錫胤からの熱心な勧めを受けて出仕することを決意した[2]。
明治2年(1869年)、若森県大参事に就任。以後、新治県権参事、新川県権参事、宮城県大書記官、内務少書記官、大蔵権大書記官、同省庶務局長、同参事官などを歴任[1][2]。
1889年12月、三重県知事に就任。風水害・濃尾地震の救済復旧に尽力[5]。 1896年8月、知事を辞し退官した。1897年12月23日、貴族院勅選議員に任じられ[6]、死去するまで在任した。
官歴等
- 明治2年
- 明治4年11月 - 新治県権参事 任官[8]
- 明治5年5月 - 新川県権参事 任官[8]
- 1873年(明治6年) - 新川県参事 任官[7]
- 1875年(明治8年)6月 - 六等判事 兼任[8]
- 1876年(明治9年)1月 - 新川県が廃止されるため免官[7][8]。
- 1877年(明治10年)3月 - 宮城県大書記官 任官[9]
- 1880年(明治13年)12月 - 内務省入省、小書記官 任官[7][9]
- 1881年(明治14年)11月 - 大蔵権大書記官 任官[9]
- 1882年(明治15年)10月 - 庶務局長 任官[9]
- 1885年(明治18年)6月 - 日本鉄道会社会計検査官 兼任[9]
- 1886年(明治19年)
- 1887年(明治20年)11月5日 - 文官普通試験委員長 任命[10]
- 1888年(明治21年) - 地方事務臨時取調委員 及び 東京市区改正委員 任命[9]
- 1889年(明治22年)12月26日 - 三重県知事 任官[4]
- 1890年(明治23年)1月17日 - 免 東京市区改正委員[12]
- 1896年(明治29年)8月12日 - 三重県知事 依願免官[13]
- 1897年(明治30年)
- 房総鉄道株式会社 社長[4]
- 東京商業銀行 頭取[4]
- 1899年(明治32年)11月27日 - 薨去。
