成川尚義

From Wikipedia, the free encyclopedia

成川尚義

成川 尚義(なりかわ なおよし[1] / なるかわ ひさよし[2]1841年10月4日天保12年8月20日〉 - 1899年明治32年〉11月27日[2])は、日本の内務大蔵官僚政治家三重県知事(官選第5代)、貴族院勅選議員。幼名:禎三郎[3]

上総国山辺郡白幡村(現千葉県山武市)に、伊志田治平(石田治平[2])の次男として生まれる[3]。同郡本須賀村・成川家の養子となり名を尚義と改める[3][4]

幕末の動乱期に勝海舟のもとで事態の収拾に奔走した。新政府軍の江戸城入城後、追及を受けて自首するが、沈着冷静な対応により釈放された。その際、刑法官判事中島錫胤からの熱心な勧めを受けて出仕することを決意した[2]

明治2年(1869年)、若森県大参事に就任。以後、新治県権参事、新川県権参事、宮城県大書記官、内務少書記官、大蔵権大書記官、同省庶務局長、同参事官などを歴任[1][2]

1889年12月、三重県知事に就任。風水害・濃尾地震の救済復旧に尽力[5]1896年8月、知事を辞し退官した。1897年12月23日、貴族院勅選議員に任じられ[6]、死去するまで在任した。

官歴等

栄典・授章・授賞

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI