我堂武夫
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| 我堂 武夫 がどう たけお | |
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| 生年月日 | 1904年(明治37年)7月27日 |
| 出生地 | 堺市 |
| 没年月日 | 1984年4月15日(79歳没) |
| 出身校 | 九州帝国大学(現九州大学) |
| 前職 | 堺市助役 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 1972年(昭和47年)11月 - 1984年(昭和59年)1月 |
我堂 武夫(がどう たけお、1904年〈明治37年〉7月27日[1] - 1984年〈昭和59年〉4月15日[1])は、日本の政治家。大阪府堺市長(第15代)。1976年(昭和51年)、堺市の政令指定都市移行を目標として発表([2]移行は2006年〈平成18年〉)。行政改革や財政再建と都市再開発を進め「名市長」と呼ばれた[3]。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。
人物
前々任で第13代市長の河盛安之介が、人口30万人台の1961年に発表した堺市「100万都市構想」について、市長として具体化させ整備。1976年に政令指定都市昇格を目指す構想として正式に発表した[2]。同年、泉北ニュータウン入居も始まり堺市の人口は急増し1983年に80万人を突破。2005年(平成17年)に美原町と合併し、翌2006年に政令指定都市に移行している。
市長として在任中の主な政策として、1969年から1973年にかけ60%台の財政力指数が一挙90%台と経常収支比率が上がった際、助役に田中和夫(のちの第16代市長)を据え行財政の見直しに着手[7]。
行政改革・財政再建と並行して、都市力の向上のため都市再開発にも注力した。市内で最古1888年(明治21年)開業で、かつては市の代表駅とされた南海電気鉄道南海本線の「堺駅」の西口地区(第一種市街地)に都市ホテル(リーガロイヤルホテル堺。現ホテル・アゴーラ リージェンシー堺)や商業施設・都市型住宅(ポルタス堺)を建設。かつての中心地旧・堺港地区の大浜公園などの再開発事業(ハーバーライト21構想[8][9])を推進。市南部でも大阪府立大学のある中百舌鳥地域を副都心として整備[10]を進める一方、ソフトウェア面でも東京都に東京事務所の設置を進めた[11]。

市長として在任中、堺市は1983年3月25日、「非核平和都市」を宣言[12]。同年12月3日に中華人民共和国の連雲港市(東部湾岸江蘇省にある市)との間で友好都市(姉妹都市)提携を締結している[13]。