日本語のろっくとふぉーくのコンサート
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『日本語のろっくとふぉーくのコンサート』(にほんごのろっくとふぉーくのこんさーと)は、1970年から1973年にかけて、日比谷野外音楽堂で開かれた催し。
1970年9月に第1回が開催されたこのイベントは、“日本語の”と冠されていることからもわかるように、当時『ニューミュージック・マガジン』や『新宿プレイマップ』(1970年10月号)[1]誌上で巻き起こった、日本語詞でロックを歌うことの是非を問うた論争(所謂「日本語ロック論争」)を背景に誕生したイベント[2]。
はじめのうちはロック勢が多かったが、次第にフォーク勢が増えていった。タイトルも当初は「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」だったが、第3回から「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」に改題され、”ろっく”と”ふぉーく”の順番が入れ替わっている[3]。
第5回をもって終了した理由について、評論家の中村俊夫は次のように解説[2][3]。
| 「 | 結局この回が同イベントの最後となってしまった。ほぼ時を同じくして、「日本語ロック論争」を吹き飛ばしてしまう勢いのキャロルが鮮烈なデビューを飾り、和製ロックに“日本語の”という但し書きが不要な時代が到来すると共に、同イベントも存在意義を失ってしまったのである。 | 」 |
出演者
第1回:1970年9月16日「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」
第2回:1971年6月3日「日本語のろっくとふぉーくのコンサート」
第3回:1971年10月17日「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」
第4回:1972年5月13日、14日「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」
- はっぴいえんど、モップス、頭脳警察、あがた森魚、はちみつぱい、かまやつひろし&ウォッカ・コリンズ、遠藤賢司、泉谷しげる、武蔵野タンポポ団、古井戸、井上陽水、かぐや姫、三上寛、ブレッド&バター、ガロ、五つの赤い風船、乱魔堂、成田賢、ブラッディ・サーカスほか
- The M(イエローの前身で後にゴダイゴに参加する浅野孝己がいた)も登場予定であったが、メンバーが急病(本当の理由は不明)とやらでドタキャン[2]。
第5回:1973年10月14日、15日「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」
脚注
注釈
出典
- ↑ “新宿プレイマップ 1970年10月号 日本語ロック論争 全文掲載|みの”. note(ノート) (2022年10月29日). 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 3 “日本語のふぉーくとろっくのコンサート”. music-calendar.jp. 2026年3月13日閲覧。
- 1 2 『フォークソングの東京・聖地巡礼 1968-1985』講談社、2018年3月15日、50-56頁。