日本農民連盟
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沿革
結成
1937年末の人民戦線事件を契機として、全国農民組合(全農)の社会大衆党(社大党)支持派は日本農民組合総同盟(日農総同盟)との合同に動き、合同は実現しなかったものの社大党支持の大日本農民組合を結成する。一方、反社大党派の稲村隆一らは全農を脱退し、東方会を通じて木村武雄・小山亮・中原謹司・今井新造らと連携して、新たな農民運動組織の結成に動く。1938年(昭和13年)1月16日、小山・中原らの主催により長野市で農村問題協議会を開き、日本農民連盟(日農連)を結成する。常任委員には小山亮、中原謹司、今井新造、木村武雄、由谷義治、稲村隆一、淡谷悠蔵、田辺納、長尾有、佐藤吉熊、岩田潔、山名正実、堤不二雄、浜勇治が選出される[2]。なお、全農から日農連に参加したのは、旧全国会議派や旧労農党系が多かった[1][3]。
活動
1938年6月、東方会および日農連は木村武雄を団長として満州移民地視察団を組織し、稲村隆一・淡谷悠蔵・田辺納・長尾有・臼井荘一らが参加する。その後、日農連は大陸への移民を推進する[4]。
同年9月15日、東京で第3回全国委員会を開き、大陸移民強化運動、水害対策、戦時農村強化法即時制定要請などを審議決定した。そのうち、戦時農村強化法案では、「日満支農業計画の確立」「重要農産物の国家管理」「自作農維持創設制の徹底」などが骨子とされた[4]。
1939年6月以降、農民制度改革同盟(および前身研究会)に日農連からも由谷義治・杉浦武雄らが参加する。しかし、同年12月の日農連全国大会では農地制度改革同盟反対の態度を決定する[5]。