星野信幸
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馬事公苑花の15期生の一人であり、柴田政人・岡部幸雄・福永洋一・伊藤正徳と同期である[1] [2] [3]。
1968年3月2日に東京・橋本輝雄厩舎からデビューし、中山第9競走5歳以上120万下・スパートターフ(10頭中3着)[4]で初騎乗を果たす[5]。同レースを勝利したのは同期の岡部が騎乗するタリヤーフオンテンで、2着ニユダイトの鞍上は14期生ながらデビュー年が同じになった池上昌弘であった[4]。
4月7日の中山第6競走5歳以上70万下ではダイサチに騎乗し、増沢末夫や兄弟子の丸目敏栄を抑えて初勝利を挙げる[6] [5]。5月12日の中山で自身初の1日2勝を挙げると[7] [8]、6月には作家の吉屋信子が所有するリツシユンで東京障害特別(春)を制し[9]、デビュー3ヶ月での重賞初制覇を達成。新人年の障害重賞勝利は瀬戸口勉・加賀武見・中西武信に続く4人目となったが、その後は同期の伊藤が同年の東京障害特別(秋)をフリートターフで制し、1969年には田村正光が東京障害特別(春)・クインサーフで達成しており、2022年時点では田村が最後となっている[10]。星野は瀬戸口、中西と共に平地含めた重賞初騎乗での勝利でもあった[10]。
2年目の1969年には7月5日と同20日の新潟第3競走障害4歳以上未勝利で共にフジノテンカに騎乗して2着であったが、勝ち馬は異なるものの、騎乗は共に同期の目黒正徳であった[11] [12]。1年目の同年は平地12勝、障害10勝と共に2桁の計22勝と上々のスタートを決める[8] [13]。七夕賞で丸目から乗り替わったマツセダンに騎乗し[14]、オークス馬ルピナスを4馬身突き放してのレコード勝ちで平地重賞初勝利[15]。続く福島大賞典ではルピナス・ハクセツ・メジロアサマを封じて[16]重賞を連勝するなど[14]、同年には自己最多の32勝をマーク[13]。
マツセダンとのコンビでは1970年のダイヤモンドステークスでダービー馬ダイシンボルガードとアタマ差2着[17]に入ると、アルゼンチンジョッキークラブカップではスピードシンボリをハナ差抑えて[18]重賞4勝目[14]を挙げ、安田記念ではメジロアサマの3着[19]に入る[14]。同馬以外では同厩の菊花賞馬アカネテンリュウに第1回マイラーズカップで初めて騎乗し[20]、不良馬場でトウメイ・ダテホーライに歯が立たなかったが、同じく西下していた関東馬ミノルに先着の5着と掲示板は確保[21]。3年目の同年は8勝に終わるが、1971年から1976年までは6年連続10勝台の2桁を記録[13]。
1971年からは丸目が引退したために橋本厩舎を主戦騎手として支えることになり、元々は丸目が務めていたアカネテンリュウの主戦も引き継いだが、なかなか勝てなかった時は丸目が引き合いに出されて色々と言われた。そんな中で1972年の東京新聞杯を不良馬場で61kgながら勝たせ、天皇賞(春)ではベルワイドの3着に入る[20]。
1974年にはフェアーリュウでクラシック戦線に挑み、キタノカチドキが勝った皐月賞4着、菊花賞3着と健闘[22]。その後も重賞は勝てなかったが、明け5歳になった1975年は目黒記念(春)でカーネルシンボリの3着、天皇賞(春)でイチフジイサミに次ぐ4着、第16回宝塚記念でナオキに次ぐ5着と積極的に大レースに挑戦した[22]。スモールキングではアルゼンチンJCCでベルワイドに先着の3着[23]、安田記念ではナスノチグサ・ホワイトフォンテン・ニットウチドリ・サクライワイに先着の2着[24]、ステイヤーズステークスでも3着と距離問わず重賞で善戦[25]。
伊藤竹男厩舎に移籍した1979年にはリキアイオーで東京4歳ステークス・弥生賞・スプリングステークスと3連勝し[26]、1番人気に支持された皐月賞では岩城博俊騎乗のカシマセイカンに絡まれまくって4着に終わる。盛山毅(当時・フジテレビアナウンサー)に「喧嘩を仕掛けていきました岩城!」と実況されるほど競り掛けられたが、星野も譲らずに逃げ争いを繰り広げ、最後は一杯になるも粘った。ダービーでは8枠26番ながら8着と健闘したが、春のトライアルでビンゴガルー・カツラノハイセイコ・ハシハーミットと後のクラシックホースを全て下していた[27] [28]。ダービー当日の5月7日の第2競走4歳未勝利では22頭中21番人気のキタノキングで勝利し、単勝40690円、複勝9000円の払戻レコード(当時)を樹立[29]。同年は3年ぶりで自身最後の2桁となる12勝を挙げるが、その後は1桁台に落ち着く[13]。
1981年からはフリーとなるが、1983年は1勝に終わる[13]。
1986年は3月8日の小倉第11競走4歳以上400万下・リマンドスタンが最後の勝利[30]となり、11月16日の福島第4競走4歳未勝利・エメラルドマリー(14頭中12着)が最後の騎乗[31]となった。
1987年には西塚十勝厩舎所属となるも騎乗は無くなり、1988年限りで現役を引退。
引退後は調教助手を務め、2012年には福永洋一記念当日の高知で開かれた花の15期生の同期会に参加し、洋一を囲んでの会見ではエピソードを語った[1] [2]。2016年には休苑前の馬事公苑を訪問し、思い出話に花を咲かせた[3]。
騎手成績
脚注
- 1 2 hacosuke.com : はこすけダイアリー
- 1 2 高知への旅~其の弐|地方競馬ならオッズパーク競馬
- 1 2 【ズームアップ】生まれ変わる馬事公苑「花の15期生」思い出話に花 - 予想王TV@SANSPO.COM
- 1 2 5歳以上120万円以下|1968年3月2日 | 競馬データベース - netkeiba
- 1 2 星野信幸のプロフィール | 騎手データ - netkeiba
- ↑ 5歳以上70万円以下|1968年4月7日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ 抽出[通算 1着レース]|星野信幸の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- 1 2 抽出[1968年度 1着レース]|星野信幸の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ↑ 東京障害特別|1968年6月23日 | 競馬データベース - netkeiba
- 1 2 53年ぶり、5人目?の記録達成なるか。 7月30日(土)の放送予定|中央競馬実況中継
- ↑ 4歳以上未勝利|1969年7月5日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ 4歳以上未勝利|1969年7月20日 | 競馬データベース - netkeiba
- 1 2 3 4 5 星野信幸の年度別成績 | 騎手データ - netkeiba
- 1 2 3 4 マツセダン (Matsu Sedan) | 競走馬データ - netkeiba
- ↑ 七夕賞|1969年10月5日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ 福島大賞典|1969年10月26日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ ダイヤモンドステーク|1970年3月29日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ アルゼンチンジョッキ|1970年5月5日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ 安田記念|1970年5月31日 | 競馬データベース - netkeiba
- 1 2 アカネテンリュウ (Akane Tenryu) | 競走馬データ - netkeiba
- ↑ マイラーズカップ|1970年4月12日 | 競馬データベース - netkeiba
- 1 2 フェアーリュウ | 競走馬データ - netkeiba
- ↑ アルゼンチンジョッキ|1974年5月12日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ 安田記念|1974年6月9日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ スモールキング (Small King) | 競走馬データ - netkeiba
- ↑ リキアイオー (Rikiai O) | 競走馬データ - netkeiba
- ↑ 東京4歳ステークス|1979年2月11日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ スプリングステークス|1979年3月25日 | 競馬データベース - netkeiba
- ↑ 小林皓正『小林皓正の競馬ワンダーランド』1992年、コスモヒルズ、ISBN 4877038086、p76
- ↑ 抽出[通算 1着レース]|星野信幸の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ↑ 星野信幸の近走成績 | 騎手データ - netkeiba