ルピナス (競走馬)
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父ネヴァービートは2・3歳時に10戦1勝で重賞でも入着級と、競走馬としては大成できなかったが、良血が買われて1963年、種牡馬として日本に輸入されることとなった。翌1964年から供用が開始され、3度のリーディングサイアー(1970年, 1972年, 1977年)に輝いた。ブルードメアサイアーとしても、メジロラモーヌやサクラユタカオー等の活躍馬を送り出すなど、優れた成績を残しており、3度のリーディングブルードメアサイアー(1984年, 1986年, 1988年)となっている。
1967年(3歳)夏の福島でデビューし、3戦目の未出未勝で人気に応えて勝ち上がる。1968年(4歳)は年明けから3連勝して迎えた初重賞のクイーンカップは2着、桜花賞を目指して関西に入ると、阪神4歳牝馬特別は6着に終わるも、本番の桜花賞では5着と掲示板に入る。その後は主戦の菅原泰夫から中野渡清一に交代し、改築工事の影響で6月末の開催となった優駿牝馬に出走。好景気を反映して売り上げは前年の倍以上の14億円を記録した。桜花賞馬コウユウは直前に出走を回避し、2着のニツトウヤヨイが1番人気に支持され、ルピナスは8番人気であった。レースはルピナスが直線を抜け出すと、スズガーベラの追い込みをクビ差交わして優勝。ニツトウヤヨイは7着に敗退。鞍上の中野渡は初めてにして最後のクラシック制覇となり、抽せん馬の優駿牝馬制覇は1978年のファイブホープまで待たねばならなくなる。父ネヴァービートもマーチスが皐月賞を制しており、初年度産駒からいきなりマーチス、ルピナスと2頭のクラシック馬を生み出した。秋には菅原に再び交代し、年末には有馬記念にも出走してリュウズキの8着となる。同年の成績は16戦6勝で重賞は優駿牝馬のみであったが、啓衆社賞最優秀4歳牝馬に選定されている。1969年(5歳)は最初は古牡馬相手に苦戦するが、秋の福島で七夕賞・福島大賞典と連続2着と結果を残す。1970年引退。
引退後は1971年に繁殖入りし、7頭の産駒を残したが、活躍馬は送り出せなかった。