春木義彰
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大和国平群郡法隆寺村(現在の斑鳩町)出身。春木義道の二男[2]。伴林光平の弟子で、師が天誅組の変に加わって処刑されると、その遺志を継ぎ、1865年(慶応元年)に京都に入って志士と交わった。1867年(慶応3年)、鷲尾隆聚が倒幕の密勅を奉じて高野山で挙兵すると、大坂で軍費調達にあたった。翌年、鳥羽・伏見の戦いが起きると、高野山に駆けつけ、錦旗奉行・兵糧奉行に任じられた。その後、奥羽追討総督となった鷲尾に従い、白河口軍務応接係・書記として各地を転戦した。1869年(明治2年)、兵部省の命を受け、脱走が相次いでいた十津川郷士の鎮撫にあたった。
五条県や奈良県の地方官を経て、1873年(明治6年)からは司法官に転じた。累進して、1892年(明治25年)に検事総長に就任した[3]。1898年(明治31年)に東京控訴院長に転じ、1903年(明治36年)に休職を命じられた。
