月友

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欧字表記 Tsukitomo[1]
性別 [1]
月友
『馬匹血統登録書』第15巻より
欧字表記 Tsukitomo[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1932年3月13日[1]
死没 1953年12月27日[2]
マンノウォー[1]
星友[1]
母の父 サーマーティン[1]
生国 日本の旗 日本千葉県成田市
生産者 下総御料牧場
競走成績
生涯成績 不出走[1]
繁殖成績
タイトル 日本リーディングBMS
(1960年[3]・1963年[4]
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月友(つきとも、1932年3月13日[1] - 1953年12月27日[2])は日本サラブレッド種牡馬カイソウをはじめとする5頭のクラシック競走優勝馬など、1940年代から1950年代にかけて多くの活躍馬を輩出した。

1931年、それまでイギリスの血統が主流を占めていた日本競馬にアメリカ血脈を導入すべく、宮内省下総御料牧場がアメリカより3頭の繁殖牝馬を輸入した。月友は、そのうちの1頭アルザダ(血統名・星友)が日本で産んだ牡駒で、いわゆる持込馬である(父はアメリカの伝説的競走馬マンノウォー)。

なお、ほかの2頭から生まれた産駒はいずれも牝馬(後にクレオパトラトマスエレギヤラトマスとして帝室御賞典を優勝)であったが、唯一の牡馬であった月友は競走馬として出走することはなく、1936年より種牡馬となった。

種牡馬入り当初は、同じ下総御料牧場に繋養されていた大種牡馬トウルヌソルや鳴り物入りで輸入されたダイオライトらに圧され、産駒が八大競走で活躍することはなかったが、太平洋戦争中の1944年カイソウが検定競走として行われた東京優駿に優勝してクラシック競走を初めて制覇。戦後は、1946年ミツマサ優駿牝馬に優勝したのを皮切りに、以後もミハルオーオートキツなどの活躍馬を送り出し、1953年の種付けをもって引退するまで第一線の種牡馬として活躍を続けた。

オートキツが当時「最悪」と言われた不良馬場で行われた東京優駿を、史上最大着差の8馬身差で優勝したことに象徴されるように、産駒はおしなべて重馬場に強く 「雨の月友」の異名を取った。

1953年に老衰で死亡[2]。後継種牡馬は育たず、1981年にオートキツ産駒のカミトキカゼ(牝、地方競馬で6勝)が引退したのを最後にサラブレッド競走馬の父系としては途絶えたが、ブルードメアサイアーとして1960年と1963年の2度にわたってリーディングを獲得するなど母系に入って大きな影響力を残した[5]

主な産駒

八大競走優勝馬

その他重賞競走優勝馬

主なブルードメアサイアー産駒

2024年現在のGI級競走優勝馬および表彰受賞馬のみ記載する。

血統表

脚注

関連項目

外部リンク

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