オートキツ
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| オートキツ | |
|---|---|
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第22回東京優駿(1955年5月29日) | |
| 欧字表記 | Otokitsu[1] |
| 品種 | サラブレッド[1] |
| 性別 | 牡[1] |
| 毛色 | 栃栗毛[1] |
| 生誕 | 1952年5月6日[1] |
| 死没 | 1976年12月19日[2] |
| 父 | 月友[1] |
| 母 | トキツカゼ[1] |
| 母の父 | プリメロ |
| 生国 |
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| 生産者 | 益田牧場[1] |
| 馬主 | 川口鷲太郎[2] |
| 調教師 | 大久保房松(中山)[2] |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 22戦14勝[1] |
| 獲得賞金 | 760万700円[2] |
オートキツ(欧字名:Otokitsu、1952年5月6日[1] - 1976年12月19日[2])とは日本の競走馬である。第22回東京優駿(日本ダービー)優勝馬。また日本中央競馬会が成立してから最初のダービー馬である。1955年年度代表馬。
※馬齢は旧表記(数え)とする。
1954年11月13日の新馬戦を2着でデビューしたオートキツは、翌年(1955年)の日本ダービーまでの間に10戦4勝を挙げた。ただし、1月の条件戦でレコードタイムで勝利していたが、重賞では歯が立たず目立った存在ではなかった。それでも、母は皐月賞と優駿牝馬を制した名牝トキツカゼであり、不良馬場で行われた5月のオープン戦では20馬身以上の大差をつけ圧勝していた事から、同じく不良馬場となった東京優駿では24頭中10番人気とそれなりの評価はされていた。そして、肝心のレースでは不良馬場と強敵・メイヂヒカリ戦線離脱が味方し、セントライトに並ぶ史上最大着差である8馬身の差をつけ圧勝した。
その後は11戦9勝レコード4回と安定した強さを見せ、菊花賞こそ春のクラシック未出走のメイヂヒカリに10馬身差の2着に敗れるも、年間通じての活躍が評価され1955年年度代表馬に選出された。
翌1956年も4戦全勝。ダイヤモンドステークス・東京杯で勝利を挙げている。