有元利夫
1946-1985, 画家
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経歴
1946年、岡山県津山市(疎開先)に生まれる[1]。生後間もなく東京都台東区へ戻り、人生のほとんどを谷中で過ごした[1]。1953年、台東区立谷中小学校入学[要出典]。小学校低学年の頃からゴッホに強い興味を抱いたと言われ、駒込高等学校在学中に中林忠良の指導を受ける[1]。1969年、東京芸術大学美術学部デザイン科に入学、在学中の1971年にヨーロッパを旅行し、イタリアのフレスコ画に深い感銘を受けた[1][2]。1973年、東京芸術大学を卒業、卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」は同大学が買い上げた[1]。卒業と同時に電通に入社してデザインの仕事に携わる[1]。1976年、大阪フォルム画廊東京店で「有元利夫展-バロック音楽によせて-」を開催した後、電通を退社[1]。東京芸術大学非常勤講師をつとめながら画業に専念する[1]。
1978年、第21回安井賞展に「花降る日」「古典」を出品し、この年のみの特別賞となった安井賞選考委員会賞を受賞[1][2]。1981年、安井賞展に出品した「室内楽」「厳格なカノン」のうち、「室内楽」で第24回安井賞を受賞した[1][2]。1983年、第2回美術文化振興協会賞受賞[1]。版画、彫刻、陶芸にも独自の才能を発揮し、1978年、最初の銅版画集『7つの音楽』を刊行したのをはじめ、『一千一秒物語』(1984年)など銅版画集をいくつか出版した[1]。なお、1980-1983年に制作された版画6作品については、奈良県の工房によって偽作が製作され、市場に流通したことが判明している[3]。
作家像
- 岩絵具、箔、金泥などを用いた独特の油彩技法と、素朴な画情を持つ作風は、日本の洋画界に新しい領域を拓くものとして期待されていた[1]。イタリアのフレスコ画と日本の仏画に共通点を見いだし、早世の天才画家とも評される[3]。
- イタリア・ルネッサンス期のジョット、ピエロ・デラ・フランチェスカや、日本の古仏や平家納経などを敬愛し、古典や様式の持つ力強さに影響を受けた[4]。生涯に制作したタブローは400点にみたない[4]。有元の作品は女神を思わせる人物像をモチーフとした作品がほとんどで、雲、花弁、トランプ、カーテンなどをモチーフを彩る素材として好んだ[4]。タブロー以外では、塑像や木彫、版画などの制作に意欲を見せ、水性絵具による素描も残している[要出典]。
- バロック音楽を好み、自身でリコーダーの演奏もした[1][4]。