木原慧登
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柔道は5歳の時に有朋柔道塾で始めた[1]。小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会の45kg超級で3位になった[1]。6年の時には全国小学生学年別柔道大会の50kg超級で優勝した[1]。東海大相模中学1年の時に近代柔道杯で1年先輩の服部辰成などともに活躍して2位になった[1]。2年の時に全国中学校柔道大会個人戦73kg級で優勝すると、団体戦でも2位になった[1]。マルちゃん杯では3位だった[1]。東海大相模高校へ進学すると、インターハイでは決勝で大牟田高校2年の竹市裕亮を破って、1年生ながら優勝を果たした[1][2]。全国高校選手権では決勝で佐賀商業高校2年の田中龍雅に背負投で敗れて2位、団体戦でも2位にとどまった[3]。2年の時にはインターハイの決勝で竹市を破って2連覇を成し遂げた[2][4]。世界カデでは決勝でジョージアの選手が河津掛を仕掛けてきたため、反則勝ちで優勝を飾った[5][6]。全日本ジュニアでも優勝した[7][8]。全国高校選手権の個人戦では優勝したが、団体戦では2位だった[9][10]。3年の時にはインターハイの団体戦では決勝の国士舘高校戦で敗れて2位だった。3連覇をかけて臨んだ個人戦では[11]、準決勝で習志野高校3年の高橋叶に小外掛で敗れて3位にとどまり[12]、男子選手のインターハイ史上初となる3連覇は叶わなかった[13][14]。全日本ジュニアでは準決勝で高橋を合技で破って雪辱を果たすと、決勝でも国士舘大学1年の竹市を崩袈裟固で破って2連覇を成し遂げた[15][16]。世界ジュニアでは準決勝でアメリカのジャック・ヨネヅカに合技で敗れると、3位決定戦でもタジキスタンのアブバクル・シェロフに技ありで敗れて5位にとどまった[17]。団体戦では準決勝のブラジル戦で敗れて決勝は控えに回ったが、チームは優勝した[18][19]。2024年には東海大学へ進学すると、全日本ジュニアでは決勝で竹市に技ありで敗れて2位だった[20][21]。続く世界ジュニアでは決勝で竹市と再戦すると、内股で一本勝ちして優勝した[22]。団体戦でも決勝のフランス戦で反則勝ちするなどしてチームの優勝に貢献した[23]。体重別団体では決勝の明治大学戦で2-2となった後の代表戦で勝利して、チームの優勝に貢献した[24][25]。グランプリ・リンツでは初戦でモルドバのデニス・ビエルに技ありで敗れた[26]。2年の時には世界ジュニアの準決勝でタジキスタンのムヒディン・アサドゥロエフに有効で敗れて3位だった[27][28]。団体戦では準々決勝のIJF戦のみに出場して敗れるもチームは勝利すると、その後優勝した[29][30]。体重別団体では2連覇した[31][32]。講道館杯では3位だった[33]。グランドスラム・東京には石原樹の代替で出場すると、準決勝で講道館杯で敗れた自衛隊体育学校の内村秀資を内股で破るも、決勝で筑波大学3年の田中龍雅に技ありで敗れて2位だった[34][35]。グランドスラム・タシケントでは初戦でロシアのシャミル・ジルフィカロフに有効で敗れた[36]。
IJF世界ランキング(シニア)は826ポイント獲得で66位。ジュニアでは670ポイント獲得で第1位(26/2/23現在)[37]。