木村恭子
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福知山のお茶屋に生まれる。水野隆司と組んだバンド「亜雲土」で活動中にヤマハの作曲コンテストに『夏の光の中で』[1]を応募。また同コンテストには「譜面の部」が設けられ、楽譜のみ応募されたものもあり、各地区予選で演奏を担当するため、主催者が複数のバンドから集めたメンバーのひとりとして水野とともに練習に参加する[注釈 1]。1973年にその中から第5回ヤマハポピュラーソングコンテスト(以下ポプコン)[注釈 2]本選大会で『夏の光の中で』をステージにかける「風コーラス団」が改めて結成され、木村はボーカルとして出場、「キャニオン賞」を受ける[2]。
翌年、会場をつま恋に移転して初の開催となった第7回ポプコンにて『まいだち』で入賞。1975年にアルバム『愛色の季節』をリリース[2][3]、風コーラス団としてはポプコンで他のバンドのバックを務めるなどしたのち、1976年に解散している。
ソロとなった木村は1977年の第13回ポプコンで『スター』が優秀曲賞を受賞、同年の第8回世界歌謡祭に出場して歌唱賞を受けた[4]。またボーカル講師を務め、宝塚歌劇団で歌唱指導も行っている[4][5][6]。浦田博信とは関西音楽シーンを率いてCD「流れ着きし者の詩/Jaran-Jaran」[2]を共作した(1992年)。
数多くのコマーシャルソングの作曲や歌、ナレーションを手がけており、手かげたコマーシャルソングは3000曲以上と言われている。同じくおびただしい数のコマーシャルソングを手がけるキダ・タローのニックネームである「なにわのモーツァルト」にかけて、「なにわのベートーベン」とも呼ばれる。
主なコマーシャル
アニメ
- ハチエモン村 (オープニング曲、エンディング曲の作曲と歌)