本橋明泰
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ヤマハから世界GP
大学在学中にアマチュアでオートバイレースに参戦を開始。ヤマハ発動機のライダー養成テストを受け、1962年にヤマハと契約、オープンしたばかりの鈴鹿サーキットで行われた第1回全日本ロードレース選手権のノービス250ccクラスに参戦し、予選でポールポジションを獲得。決勝レースはリタイアとなったが速さを見せる。
1964年の鈴鹿で開催された日本グランプリにて世界グランプリ初参戦、125ccクラスで6位入賞。翌1966年はヨーロッパに遠征しオランダGPに参戦、日本グランプリでは250ccクラスで3位表彰台、1967年のマン島TTでは125ccクラス3位表彰台、日本GP250ccクラス2位表彰台と好成績を連発。全日本ロードレース選手権でもランキング上位を長く保持し続けた[1]。
日産からレーシングドライバーとして
1969年に日産自動車のワークスドライバーのオーディションに合格、大森ワークス所属でレーシングドライバーとして活動を開始。全日本ドライバー選手権や富士1000km等の耐久レースに日産・スカイライン2000GT-Rや日産・ブルーバードSSSを駆り参戦。その一方でFL500等の軽フォーミュラにも参戦し、優勝する等活躍した。
ヤマハに復帰

ヤマハがワークス活動再開に伴い復帰。ロードレース世界選手権で世界タイトルを幾度も獲得することになる名機、YZRの開発が立ち上げられると、本橋を開発の中心としたプロジェクト・チームが編成された[2]。最初に作られたのは元々あった350ccエンジンを倍にした700cc仕様のマシンで、この仕様の時点で完成度が高かったことから、これをベースに1972年当時アメリカで盛んになっていたフォーミュラ750規定のマシンと、欧州でのグランプリに向けて500cc仕様のマシンを両方開発していくことになった。本橋はマシンテストで基本的な方向性を設定し、のちにジャコモ・アゴスチーニ(1974年,1975年)、ケニー・ロバーツ(1978年,1979年,1980年)が世界チャンピオンを獲得する礎を築いた[3]。
ヤマハでは数多くのレーシングマシンの開発や、ヤマハロードレーシングスクールでの講師として毛利良一、鈴木修、平忠彦など後進育成にも貢献。1976年12月21日、銀座東急ホテルで行われた「'77ヤマハレース活動発表記者会見」にて現役引退を発表。その席で「ロードレースは生きる喜びを最大限に与えれくれるもので、集中力と決断力をもってあらゆることに耐え抜き、耐え抜くために何かを探し求めて生きてきました。現在も体力的には十分自信があるが、精神面の問題ですね。無心で走ることができなくなってきたので、潮時と考えました。今後はこれまでの経験を活かし、ライダーの指導・育成にあたりモータースポーツのより一層の普及に尽力したい。」と語った[4]。
経営者としては、東京都吉祥寺南町でオートバイショップ「本橋ヤマハ」の代表、全日本ロードレース選手権に参戦するワールドワイドMCの代表者を務めた[5]。
戦績
2輪
全日本ロードレース選手権
| 年 | チーム | マシン | 区分 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1971年 | スポーツライダース | ヤマハ・RX350 | セニア | 251cc以上 | SUZ | TSU | SUZ 1 |
SUZ | TSU | SUZ | 7 | 15 |
| 1974年 | ワールドワイドMC | ヤマハ・YZR500 | 750cc | SUZ | SUZ | TSU | SUZ | TSU | SUZ 1‡ |
- | - |
- ‡ポイント対象外のフォーミュラ・リブレ。
ロードレース世界選手権
| 年 | クラス | 車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1964年 | 125cc | ヤマハ | USA | SPA | FRA | IOM | NED | GER | DDR | ULS | FIN | ITA | JPN 6 |
24位 | 1 | ||
| 1966年 | 250cc | ヤマハ | SPA | GER | FRA | NED | BEL | DDR | TCH | FIN | ULS | IOM | ITA | JPN 3 |
14位 | 4 | |
| 125cc | ヤマハ | SPA | GER | NED 5 |
DDR | TCH | FIN | ULS | IOM | ITA | JPN 4 |
8位 | 5 | ||||
| 1967年 | 250cc | ヤマハ | SPA | GER | FRA | IOM | NED | BEL | DDR | TCH | FIN | ULS | ITA | CAN | JPN 2 |
9位 | 6 |
| 125cc | ヤマハ | SPA | GER | FRA | IOM 3 |
NED | DDR | TCH | FIN | ULS | ITA | CAN | JPN | 12位 | 6 |
4輪
鈴鹿1000km
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1970年 | 日産・ブルーバードSSS | T-Ⅱ | 136 | 13位 | 6位 |
富士1000km
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1970年 | 日産・ブルーバードSSS | T-Ⅱ | 217 | 6位 | 1位 | ||
| 1971年 | 日産・フェアレディ240Z | 12 | R-Ⅲ | DNF | DNF |
その他4輪の戦績
| 年 | レース | チーム | 使用車両 | クラス | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1969年 | 富士スピードフェスティバル富士300kmゴールデンシリーズⅣ | 日産・スカイライン2000GT-R | セダンⅢ | 5位 | |
| 1970年 | 全日本鈴鹿自動車500kmレース | 日産・スカイライン2000GT-R | T-Ⅱ | 3位 | |
| 第12回全日本クラブマン | 日産・スカイライン2000GT-R | TS-Ⅳ | 8位 | ||
| 北海道スピードウェイ・オープニング・レース大会 | 日産・ブルーバードSSS | T-Ⅱ | 3位 |