本間俊一
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宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。古川中学校(現・宮城県古川高等学校)[2]、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後、1935年に中外商業新報社、1939年に読売新聞社に入社し社会部記者となる[3]。その後、郷里に戻り、1945年8月に中新田町(現在の加美町)長となる。
1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党から立候補し当選する。当選回数通算6回。第1次吉田内閣の農林参与官、第2次吉田内閣の通産政務次官、自由党副幹事長、衆議院決算委員長などを歴任した。1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙で落選する。
その後、1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙で自民党公認で立候補し当選し国政に復帰したが、同年8月13日に脳出血で倒れ[1]、同月20日に急死した。45歳没。死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された[4][5]。追悼演説は同年9月30日、衆議院本会議で竹谷源太郎により行われた[6]。選挙から3か月以内の欠員発生のため公職選挙法の規定により、次点者の保科善四郎が同年8月27日付で繰上当選となった。