杉本秀太郎
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京都府京都市出身。1948年、旧制四高に入学。1949年に学制変更で、新制京都大学文学部仏文科に入学。1953年に卒業後、1956年、同大学院に入学し、1961年、博士課程単位取得満期退学。
1962年、京都女子大学文学部専任講師、1965年、助教授、1971年、教授。1988年に新設された国際日本文化研究センター教授に就任し、1996年に定年退職。同年に日本芸術院会員、筑摩書房で『杉本秀太郎文粋』(全5巻)が刊行された。
2015年5月27日午前7時35分、白血病のため京都・下京区の自宅にて死去、享年84[1][2][3]。通夜は30日に杉本家住宅で営まれた。葬儀・告別式は翌日同所で行われ、喪主は妻が、葬儀委員長は冷泉為人が務めた[4]。叙従四位[5]。
杉本家住宅
杉本家は1743年(寛保3年)に「奈良屋」の屋号で京都市四条烏丸に呉服商として開業した。現存する杉本家住宅は1870年(明治3年)の建立で、1990年(平成2年)に京都市指定文化財に指定されてから、(財)奈良屋記念杉本家保存会が維持運営にあたっている。2010年(平成22年)には国の重要文化財に指定された[6]。
敷地300坪におよぶ市内最大規模の町屋建築で、江戸時代の大店の構えを残し、祇園祭の際には、「伯牙山」(はくがやま)のお飾り場として、通りに面した「店の間」に、「ご神体」や懸装品が飾られる。9代目当主の秀太郎[4]は、なるべく自然の趣を再現させるべく、庭にワレモコウやフジバカマを育てている。毎年、花ニレや水仙が枯れた後、芽を出すフジバカマは、秋の七草に数えられるが、今では絶滅危惧種となっている。(香りが良いので)昔は陰干しにし、箪笥(たんす)にしまっていたという。杉本自身は以下に述べている[7]。
- 屋敷地一帯は、平安時代には、関白となった公卿・藤原頼忠の屋敷があった所で、歌人で有名な(息子の)藤原公任も住んでいた。屋敷の真ん前が「矢田寺」という寺で、「平家物語」を語る琵琶法師たちの集合場所だったそうである。だから前の通りは(平安時代には)、琵琶法師や、藤原家の召使(家人)たちが行き来していたんではないか。注意を凝らせば、京都には、まだまだ、「平安時代の匂い」の感じられる物は、ところどころに残っているんじゃないか。
杉本家住宅の旧米蔵では京都女子大学の公開講座などが開催されてきた[8]。老朽化のため米蔵は2017年から改修され、2020年11月に京都女子大学はキャンパスを開設した[8]。2021年度から授業も実施されるほか、学生のゼミ活動、一般向けの催しなどが開かれる[8]。