杉津駅
かつて福井県敦賀市にあった日本国有鉄道の駅
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
北陸本線の敦賀と福井の間の軌道の敷設に際し、地形を最大限に生かした山稜に沿った経路が選定された。なおかつ時代背景もあり、軍事上の利便を図るため、海岸沿いの山の斜面の中腹より敦賀湾を一望、監視する目的もあり、当時、港もなく国道も開通していない海抜200メートルのこの地に当駅が設置された。
そのような意図のもと敷設されたこの路線は25パーミル勾配とトンネルの連続する険しい区間となり[2]、「北陸線の癌」と呼ばれる難所であった。土砂崩れ、雪崩で脱線、不通になることがしばしばあった。
乗客にとっても、この付近を走行中は蒸気機関車がもたらす煤だらけになるのが当然という状況であったが、その一方で山の緑を縫ってトンネルと鉄橋の連続する起伏に富んだ眺望の優れた路線でもあり、鉄道唱歌第4集北陸編の第65番でも「海のながめのたぐいなき 杉津をいでてトンネルに 入ればあやしやいつのまに 日はくれはてて暗(やみ)なるぞ」と歌われる景勝地ともなった。1909年(明治42年)9月、当時の駅の保線助手が駅長と相談して海岸側の貨物積み降ろし場に庭園を造成したところ、東宮(後の大正天皇)の北陸行啓に際して御乗用臨時列車(皇族を乗せる列車)にて当駅を通過の際、列車を止めさせて敦賀港の景色を眺めることになった。これを記念して、当時の神戸鉄道管理局長長谷川謹介の発案で工費700円を投じて庭園を改築し、1914年(大正3年)12月10日に完成した[4]。
当駅は福井県、そして越前海岸唯一の海岸駅として、通勤通学以外にも海産物輸送、杉津海岸への海水浴客、臨海学校などの利用があり、特に夏休み期間は「海水浴場に歩いて行ける駅」として一大観光スポットとなる賑わいを見せていた。そのため、敦賀 - 今庄間の北陸本線線形改良案のうち、北陸トンネル開削案を除く全ての案では当駅は残されていた。
しかし、第二次世界大戦後は地域サービスよりも輸送力増強、スピードアップの要求が優先されたために北陸トンネルを擁する新線への切り替えが断行され、「北陸線屈指の車窓風景でございます」と車内アナウンスされていたほどの人気駅は消えることとなった。
