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鉄道ジャーナル

日本の鉄道雑誌(1967-2025) From Wikipedia, the free encyclopedia

『鉄道ジャーナル』(てつどうジャーナル、英: Railway Journal)は、東京都に本社を置いていた株式会社鉄道ジヤーナル社(てつどうジャーナルしゃ)[注釈 1]が編集・発行し、成美堂出版が発売[注釈 2]していた日本の月刊鉄道趣味雑誌。1967年(昭和42年)創刊、2025年(令和7年)6月号をもって休刊[2]。

愛称・略称 RJ
ジャンル 鉄道趣味誌
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
概要 鉄道ジャーナル, 愛称・略称 ...
鉄道ジャーナル
Railway Journal
愛称・略称 RJ
ジャンル 鉄道趣味誌
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 成美堂出版
編集部名 株式会社鉄道ジヤーナル社[1]
編集長 竹島紀元(1967年5月 - 2007年2月)
宮原正和(2007年3月 - 2025年4月)
ISSN 0288-2337
雑誌名コード 16499
刊行期間 1967年 - 2025年[2]
発行部数 公称15万部(2018年9月[3]自社調べ)
ウェブサイト https://www.rjnet.jp/
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本項では、発行元の鉄道ジャーナル社についても記述する。

概要

従来発行されていた鉄道雑誌が、鉄道車両や鉄道模型を中心とした趣味的な視点から編集を行うのに対し、「ジャーナル」の誌名どおり「鉄道の将来を考える専門情報誌」を標榜し、交通政策そのものを含めた社会事情や経済的・政治的な視点から鉄道を客観的に見る記事で構成されていた。「列車追跡シリーズ」という列車の乗車レポート記事を看板に、鉄道の利用実態に関わる現状を詳細にレポートしていた。また他の鉄道雑誌に比べ、鉄道の現場をレポートする記事にも積極的であった。

さらには、鉄道以外の公共交通機関である航空機やバスなどに関する記事も、いち早く誌面に盛り込んだ点も画期的な取り組みであった。

竹島紀元編集長は、鉄道撮影により死者が出た京阪100年号事故に対する反省から、鉄道ファンによる撮影への欲求の無闇な過熱を抑えたい、「鉄道を考える」ことを第一としたいという編集方針にこだわり、読者から要望の高い臨時列車のダイヤや撮影地紹介などの鉄道撮影情報をあえて掲載しない編集方針[5]を取っていた。

歴史

創刊から1970年代

1967年の創刊号の表紙は、国鉄EF90形電気機関車と長野電鉄0系電車(OSカー)である。当初は東亜企画が季刊誌として販売したが、同年発行の3号から鉄道記録映画社(のち鉄道ジャーナル社)に引き継がれ、同時に月刊化された。創刊初期には、大学や高校の鉄道研究会有志が社外スタッフとして関わっていた。その経験を活かし、自ら鉄道雑誌を立ち上げた者(『とれいん』の松本謙一・平井憲太郎、『レイルマガジン』『RM MODELS』の笹本健次)もいる。

SLブームの最中であった1970年代初期には、すでに特急列車やブルートレインを取り上げ、1970年代後半の「ブルトレブーム」につながる先見性は多くの読者の支持を得た。また、当時から海外の鉄道を積極的に取り上げていた。1969年2月号では台湾・阿里山鉄道の列車追跡が掲載され、1970年11月号ではヨーロッパの鉄道が特集された。

1980・90年代

1970年代後半、航空機やモータリゼーションが進展して鉄道利用者が減少すると、総合交通体系から鉄道の特性を見つけるべきとして、1980年1月号で特集「鉄道は航空機と共存できるか」を組み、表紙にボーイング747の写真を掲載した。また同年10月号では路面電車特集を組んだ。1984年1月号では、須田寬日本国有鉄道常務理事と利光松男日本航空常務取締役(肩書は当時)が誌上で対談した。

1980年代からはバスに関する情報も掲載した。1980年11月号で「鉄道と自動車」の特集を組み、和田由貴夫(現:ぽると出版社長、『バスラマ・インターナショナル』編集長)による長距離バスに関する記事を掲載。座談会「共存こそ鉄道とバスの生きる道」や、長野電鉄の電車とバス車両をともに掲載した。1985年1月号から、バス情報コーナー「Bus Corner」の連載を開始し、毎号3ページをバス研究第一人者の鈴木文彦が手がけた。まだ『バスラマ・インターナショナル』などのバス雑誌が刊行されていなかった時代には、この「Bus Corner」はバス趣味の情報収集に貴重な手段となった。連載当初は「鉄道雑誌にバスの特集は不要」と反対意見も見られた[6]が、竹島編集長は「他の鉄道雑誌にない記事が必要」と掲載を継続し、休刊直前の2025年5月号まで掲載が続いた。1985年5月号では当時急速に発展しつつあった高速バスを取り上げた「高速バスと鉄道」の特集を組んでいる。

1985年頃に国鉄分割民営化が社会問題化すると、分割民営化に関する問題などを逐次伝え、JR発足後はJR各社の状況を特集した。JR発足直後から1990年代前半まではバブル景気下でJR各社の輸送人員が増加したことを受け、頻繁に「鉄道復権」を特集したため、その編集方針は多くの読者から評価された。また読者投稿欄「タブレット[注釈 3]」で、JR東海初代社長の須田寛が投稿へ回答していた時期もあった。

1980年代から1990年代にかけては、中国の鉄道に注力し、中国が改革開放路線に転じた直後の1980年から、ほぼ毎年中国の鉄道ツアーを企画・主催し、本誌に数号にわたり乗車リポートを掲載した。これを機に中国のほか、ベトナムの鉄道や、ロシアのシベリア鉄道など、周辺国の鉄道ツアーも、企画・主催した。1999年10月号(特集は「寝台特急カシオペア」)では過去最高の発行部数、販売部数を達成している。

2000年代以降

2000年代に入ると、誌面の掲載内容や質が変化し、鉄道趣味的寄りな論調が増えたり、[独自研究?]2001年8月号の朝鮮半島の鉄道に関する記事の中で、竹島紀元は「日本軍による慰安婦の強制連行の事実はない」と主張して歴史見解に関する騒動が起きたり、歴史見解以外にも、編集長の姿勢が「雑誌の私物化」として問題視され、読者からの抗議が大量に殺到した(この間、本件に関する返答が遅れていることのお詫びも記載された)。最終的な騒動の終結には約半年(2002年1月号まで)も要した。

また、不景気や更なるモータリゼーションの進展は鉄道の利用者減を招き2003年6月号では「"鉄道離れ"現象の行方」を特集するなど鉄道の将来を悲観的に見る傾向が強くなり、2000年以降は「鉄道復権」の言葉が紙面に現れることが少なくなった。


また1970年代から同誌で鉄道ライターとして活動していた種村直樹による「レイルウェイ・レビュー」といったオピニオン記事や、マスコミによる鉄道記事を独自の視点で分析する「鉄道記事ざっくばらん」という記事があったが、いずれも2006年7月号で終了し、種村との契約を解除した。また「読者論壇」コーナーも廃止された。翌2007年には編集長を専任者の宮原正和へ交代し、竹島は社長に専念した。

創刊以来の「列車追跡」は、2010年代には車内取材が制限されて消滅し、読者投稿欄「タブレット」も1980年代に比べ投稿数が大幅に減少したことから、2022年12月号限りで休載した。

一方でその後も日本国外の鉄道記事に注力し、2015年2月号でドイツの鉄道を特集している。また2024年時点では「プラハ発欧州鉄道通信」を毎号掲載していた。

休刊

2025年3月号(1月21日発売)の誌上にて、同年4月21日発売の6月号をもって休刊することを発表[2]した。神戸新聞社のウェブメディア「まいどなニュース」の取材に対し、鉄道ジヤーナル社は「現状を取り巻く出版状況の厳しさも一因」と回答した[2]。

そして予定どおり、2025年4月21日発売の6月号(通巻704号)をもって鉄道ジャーナルは休刊となり、1967年の創刊以来58年の歴史に幕を閉じた。最終号の特集は「東京の電車2025」[7]であった。

後継誌

鉄道ジャーナルの休刊を受け、本誌で執筆していた佐藤信之らにより『鉄道insight』」が、2025年5月(6月号、以後月刊)から刊行された[8]。書泉[9]やAmazon[8]などで購入できる。

鉄道ジャーナル社

概要 種類, 本社所在地 ...
株式会社鉄道ジヤーナル社[1]
Railway Journal Co., Ltd.
最後に本社が置かれた成美堂出版本社
最後に本社が置かれた成美堂出版本社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
〒162-8445
東京都新宿区新小川町1番7号[1]
成美堂出版内
設立 1965年(昭和40年)
廃止 2026年(令和8年)2月1日(成美堂出版に合併し解散)
業種 情報・通信業
法人番号 3010001023244 ウィキデータを編集
事業内容 雑誌・書籍等の出版
代表者 代表取締役社長 深見公子
資本金 1000万円[10]
純利益
  • 76万円
(2025年1月期)[10]
総資産
  • 8,759万7,000円
(2025年1月31日現在)[10]
従業員数 2人(2025年7月時点)
決算期 1月31日
主要株主 成美堂出版
関係する人物 竹島紀元(創業者、元社長)
外部リンク https://www.rjnet.jp/company.html
特記事項:一般的には「株式会社鉄道ジャーナル社」の表記を用いていた[4]。
2025年7月9日に本社を東京都千代田区飯田橋四丁目8番6号(日産ビル3階)から現在地へ移転[1]。
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株式会社鉄道ジヤーナル社[1]は、鉄道映像を記録することを目的に、1965年(昭和40年)に「鉄道記録映画社」として設立され、創業者の竹島紀元が代表取締役を務めた。のちに雑誌『鉄道ジャーナル』の出版を引き継ぎ、1970年(昭和45年)に誌名に合わせて株式会社鉄道ジヤーナル社へ商号変更した。その後は『鉄道ジャーナル』誌および関連図書の編集と発行を主業務とした。そのほか、各種雑誌・書籍の編集・出版、鉄道に関する映像・ビデオ作品の制作・販売を行っていた。

なお雑誌名は『鉄道ジャーナル』であり、ウェブサイトや本誌記載の社名も「株式会社鉄道ジャーナル社」の表記であったが[4]、登記上の会社名は「鉄道ジヤーナル社」[1]であった。同誌は創刊直後から同社が編集・発行・発売を一貫して手がけてきたが、2010年1月刊行の2010年3月号(通巻521号)に発売業務を中堅出版社の株式会社成美堂出版へ移管し、雑誌コードも06551から16499に変更された。会社自体も成美堂出版の傘下となった。同時に代表取締役社長も竹島紀元が引退し、成美堂出版の代表取締役が兼務するようになった(2025年7月時点の代表取締役社長は深見公子)。

『鉄道ジャーナル』休刊後も事務所を移転し法人として存続していた[1]が、2025年12月18日、鉄道ジヤーナル社は成美堂出版に合併される形で解散することを官報に公告した[11]。公告後2026年2月1日付で解散し法人格が消滅した[1]。

雑誌『旅と鉄道』

主に鉄道旅行を扱う季刊誌『旅と鉄道』は、2007年10月号に月刊誌へ刷新し、2009年2月号(1月10日発行)を最後に休刊したが、2011年9月(11月号)に出版社を天夢人(テムジン)発行・朝日新聞出版発売へ変えて復刊した。発売元は、2017年7月号から山と渓谷社、2024年8月号からイカロス出版(編集・発行とも)へ、それぞれ変更した。

編集長は鉄道ジャーナル編集部出身で、株式会社天夢人(テムジン)代表を務めた芦原伸。

2024年4月1日付で、株式会社天夢人はイカロス出版へ吸収合併され解散[12]した。

関連人物

関連雑誌

制作協力した鉄道紀行番組

脚注

関連項目

外部リンク

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