杉田成道

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1943-10-05) 1943年10月5日(82歳)
ジャンル テレビドラマ映画
すぎた しげみち
杉田 成道
生年月日 (1943-10-05) 1943年10月5日(82歳)
出生地 日本の旗 日本 愛知県豊橋市
職業 映画監督映画プロデューサー
ジャンル テレビドラマ映画
主な作品
監督
優駿 ORACION
ラストソング
最後の忠臣蔵
プロデュース
ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜
関ケ原
受賞
日本アカデミー賞
優秀作品賞
2009年ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜
2017年関ケ原
その他の賞
藤本賞 特別賞
2010年最後の忠臣蔵
テンプレートを表示

杉田 成道(すぎた しげみち、1943年昭和18年〉10月5日[1] - )は、日本演出家映画監督フジテレビ役員待遇エグゼクティブディレクター、日本映画放送社長を務めた。

北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。日本映画テレビプロデューサー協会会長2003年 - 2015年)。

「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。

愛知県豊橋市新本町[1] で3人兄弟の末っ子として出生。生家は江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将宇垣一成から1字をとって名付けられた[2]。兄はピアニスト杉田谷道

1962年(昭和37年)愛知県立時習館高等学校を卒業し[1]慶應義塾大学文学部へ進学。大学では約100人いる空手部のキャプテンとしても活躍した[3]。67年に大学を卒業。就職はもともと報道を志望していたので、フジテレビに入社する。しかし、編成局制作第一演出部へ配属され、小林俊一、岡田太郎(のち共同テレビ社長、吉永小百合の夫)らフジの看板ディレクターに師事して、演出助手としてドラマ制作に携わる[1][3]

1970年(昭和45年)に『テレビナイトショー』で演出家デビューする。半年後に報道局に異動となり、『週刊ニュース』を担当[3]。その後、サンケイ新聞(現・産経新聞)に出向となり、社会部記者として環境庁(現・環境省)の記者クラブに所属して、新聞の一面トップ記事を書いたこともあった[3]。新聞記者もなかなか面白い仕事だ思いかけていた頃、フジテレビ復帰の辞令が出て、広報部に回される[3]

その頃、「制作部に行って、ドラマをやりたい」という思いが強くなっていたが、当時のフジは制作分離を行っていたため、それは叶わず、系列制作会社である嶋田親一の「新制作プロ」に誘われた[3]。73年に『肝っ玉捕物帳』でドラマディレクターとしてデビュー[3]。以後、一貫してドラマ演出に携わり、企画担当の岡田から「いい経験だから」と言われて[3]1981年(昭和56年)から担当した『北の国から』シリーズでフジテレビの看板ディレクターとなり[3]、この番組で知り合った脚本家の倉本聰を三木のり平とともに師として仰いでいる[4]

1988年(昭和63年)に『優駿 ORACION』で映画監督デビュー[1]。92年、芸術選奨新人賞放送部門を受賞。

2001年(平成13年)6月、『悪の紋章』『Yの悲劇』という6本シリーズで一緒に仕事に取り組んだ村上光一[3]、フジテレビ社長に就任することに伴い、後任として日本映画衛星放送(現:日本映画放送)の社長に就任し、21年6月、取締役相談役に退く。

人物

北の国からでは、ニコニコしながら何度も「それじゃもう一回行こうか」と撮影をすることから、出演者からは「笑う悪魔」と呼ばれていた[5]

家族

1969年(昭和44年)9月に結婚して1男をもうける[1]。妻は小山内薫の孫で、妻の母親が喜劇俳優三木のり平と再婚しており、三木は義父にあたる。50歳のとき妻とはで死別した[6]

57歳で30歳年下の医学生の女性(のち小児科医)と再婚して4児をもうける[7]2010年(平成22年)、妻の勧めでその経緯を記した『願わくは、鳩のごとくに』を出版。話題となった[8]

受賞

演出作品

テレビドラマ

フジテレビ

時代劇専門チャンネル

ラジオドラマ

ネット配信

バラエティ

映画

舞台

PV

CM

著書

出典

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI