李完九
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| 李完九 이완구 Lee Wan-koo | |
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2019年 | |
| 生年月日 | 1950年6月2日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 2021年10月14日(71歳没) |
| 所属政党 |
(民主自由党→) (新韓国党→) (ハンナラ党→) (自由民主連合→) (ハンナラ党→) (セヌリ党→) (自由韓国党→) (未来統合党→) 国民の力 |
| 在任期間 | 2015年2月17日 - 2015年4月27日 |
| 大統領 | 朴槿恵 |
| 李完九(イ・ワング) | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 이완구 |
| 漢字: | 李完九 |
| 発音: | イワング |
| 日本語読み: | り かんきゅう |
| ローマ字: | I Wangu |
| 英語表記: | Lee Wan-koo |
李 完九(イ・ワング、이완구、1950年6月2日 - 2021年10月14日)は、韓国の政治家。元国務総理(首相に相当)、元忠清南道知事、第15・16・19代国会議員[1]。朴槿恵大統領の側近。元セヌリ党院内代表。
1950年6月2日、忠清南道青陽郡出身[2]。本貫は驪州李氏。成均館大学校、ミシガン州立大学大学院卒業[1]。1974年に行政高等試験に合格し、1975年に経済企画院(現在の企画財政部)事務官となる。徴兵身体検査の際に舟状骨の副骨の障害を理由として補充役招集を受け、1976年5月に入営し1977年4月に満期で服務を満了した[3]。忠北地方警察庁、忠南地方警察庁長などを歴任し、経済や治安分野において能力を認められた[4]。1996年に新韓国党から第15代総選挙に出馬し初当選。2004年までの8年間、国会議員を2期(第15・16代)務めた。
2006年には第35代忠清南道知事に当選するが、行政中心複合都市として建設が進んでいた世宗特別自治市について、当時の李明博大統領が計画の縮小を行ったことに反発し、2009年に道知事を辞任。このことで当時、ハンナラ党内で李明博と争っていた朴槿恵の信頼を勝ち得たとされている。2012年の大統領選挙では朴槿恵陣営の忠清南道誉選挙対策委員長を務め、朴の当選に貢献。2013年に補欠選挙に当選して国政復帰を果たし、2014年5月8日にセヌリ党院内代表に選出された。忠清道出身議員がセヌリ党の院内代表となるのはこれが初だった[5]。親朴槿恵派に分類されるが野党との関係も円満で、広い人脈を持つ人物と評価されている[6]。
2015年1月23日、辞任を表明していた鄭烘原国務総理の後継となることが青瓦台(大統領府)より発表された[4]。李は指名を受け、大統領に苦言と直言をする国務総理になると抱負を述べた[6]。後述するような疑惑が浮上し、2月16日の任命同意案の採決では与党側から7人以上の造反を出しながらも賛成148、反対128、無効5票で可決[7]、2月17日に就任式が執り行われて就任した[8]。
しかし、新たに発生した建設会社会長成完鍾の不正資金提供疑惑を受けて、就任から2ヶ月あまりで国務総理を辞任した[9]。贈収賄事件については2017年に無罪が確定しており、その後は政治的な再起を図っているとされる[10]。
晩年は血液のがんを患い闘病生活を送った。2012年初に多発性骨髄腫の診断を受け、骨髄移植後は完治したが、後にがんが再発し、2021年10月14日に71歳で死去した[11][12]。