李豊 (後漢) From Wikipedia, the free encyclopedia 李 豊(り ほう)は、中国後漢末期の袁術配下の武将。 建安2年(197年)9月、曹操の攻撃を受けた袁術は、橋蕤・李豊・梁綱・楽就に守備を任せ、自身は淮河を渡って逃走した[1]。四将はいずれも于禁によって斬殺された[2]。 羅貫中の小説『三国志演義』では、袁術が呂布を討伐した際の催進使[3]の一人として登場。袁術と呂布が対峙すると槍を手に呂布を迎え撃ったが、三合と打ち合わぬ間に手を戟で刺され、敗走する。 その後は曹操の攻撃から寿春城を守ったが、城が陥落すると捕虜となり、斬刑に処された[4]。 脚注 ↑ 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 武帝紀 s:zh:三國志/卷01 ↑ 『三国志』魏書 于禁伝 s:zh:三國志/卷17#于禁 ↑ 戦闘を促す使者。ちくま文庫『三国志演義 2』21頁より。 ↑ s:zh:三國演義/第017回 Related Articles