東京暗黒街・竹の家

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東京暗黒街・竹の家』(とうきょうあんこくがい・たけのいえ、原題:House of Bamboo)は、1955年に製作されたサミュエル・フラー監督による日本を舞台としたアメリカフィルム・ノワールである[1][2][3]戦後最初に日本でロケが行われたメジャー映画とされる[3][4]

ウィリアム・ケイリー監督の『情無用の街』(The Street With No Name, 1948年)の舞台を戦後の東京に置き換えたリメイク作品である。

2012年にはサミュエル・フラーの生誕百年を記念して[1]、デジタル修復版が第13回東京フィルメックスで上映された[2]

キャスト

スタッフ

製作

企画

仮題は『The Tokyo Story』だったという[4]

キャスティング

サミュエル・フラー監督が、マリコ役にシャーリー・ヤマグチ(山口淑子)を選んだのは『戦国無頼』(1952年、東宝)などの日本映画を観たからといわれる[3]。山口は本作では、男に完全に奉仕する日本人女性像を演じる[3]

撮影

オープニングシーン

映画のオープニングシーンでは富士山をバックに蒸気機関車が走るが[2]、これは山梨県の富士山麓電鉄(現・富士山麓電気鉄道富士急行線)の富士吉田駅河口湖駅の区間約5kmを、20世紀フォックス社が借り切って撮影したものである[6]。当初、20世紀フォックス側からは両駅間を1955年(昭和30年)2月7日から9日まで3日間運休して撮影したい」との打診があり、富士山麓電鉄は「公共の鉄道の運行を中止してまで映画のために貸すわけにはいかない」として一度は断ったが、外務省運輸省山梨県東京都などから「国際親善・観光などに資することなので協力するように」との要請があり[6]、最終的に2月7日から9日のうち午前7時30分から午後4時までを運休して撮影することを承諾した[6]。この間、利用者は用意されたバス10台にて輸送された[6]。サミュエル・フラー監督らスタッフと、ロバート・ライアン、早川雪洲、山口淑子(李香蘭)ら俳優100余名は河口湖畔の宿舎へと入り、山梨ロケに備えたという[6]エンドクレジットの後、「20世紀フォックスアメリカ極東陸軍第8軍の憲兵隊、ならびに日本政府と警視庁の貢献に感謝する」とテロップが流れる[4]

この場所が選ばれたのは「富士山をバックに蒸気機関車の走るシーンを撮りたいから」という理由だったが[6]、開業時から電化されていた富士山麓電鉄には蒸気機関車はなく、わざわざ国鉄から借りてきての撮影となった[6]。そのため、電化されて架線のある場所を蒸気機関車が走るシーンとなっている[6]。なお、富士山麓電鉄に蒸気機関車が走るのは開業以来この日が初めてで、大勢の見物人が押し寄せたという。本作は当時のアメリカ人が抱いていた日本のステレオタイプである「ヤクザ(暴力団)、ゲイシャ(芸者)、フジヤマ(富士山)」などを題材にした映画であり、その撮影のためにわざわざ公共の交通機関を3日間にわたり運休させることに対して、一部の国民から反発があった。

ロケ地は山梨の他、東京都八ツ山橋国際劇場佃島日本橋箱崎町隅田川銀座法務省旧本館(警視庁に見立てている)、桜田門帝国ホテル浅草松屋デパート屋上など[1][2][3][4]神奈川県横浜市横浜港鎌倉市高徳院など[2][3]。エンディングの松屋浅草屋上のスカイクルーザーで展開される銃撃戦は映画史上に残る名場面とされる[1][2]。山口淑子がセリフで「目黒のそば屋」と言うが目黒は映らない。日本で43日間にわたりロケが行なわれた。室内シーンの多くは、アメリカの撮影所に作られたセットである[3][4]。このため、室内シーンに出演する日本人俳優の日本語はすこしおかしい[2]

作品の評価

脚注

外部リンク

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