東留伽
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関西で出生してから、物心が付く前に実父の仕事の関係で北海道札幌市に転居[3]。北海道札幌南高等学校を経て、大阪大学人間科学部に進学した。
大学在学中には、大阪府内にある祖父母の自宅から通学。近くで営業している映画館に通い詰めては、月に3 - 4本のペース、在学中の4年間で150本以上の新作映画を鑑賞していたという[4]。また、「ラテンダンサーのような強い女性になりたい」という理由で、学内の舞踏(競技ダンス)研究会に所属。全日本学生競技ダンス連盟が主催する全日本学生競技ダンス選手権大会では、1チーム16名による「フォーメーションの部」での優勝を経験している[5]。
その一方で、セント・フォース関西所属のタレントとして、『知られざるガリバー〜エクセレントカンパニーファイル〜』(テレビ東京系列全国ネット番組)の「ファイリングリポーター」(女子大生リポーター)や『おかやまっさん』(京都放送)のリポーターなどを務めていた。セント・フォース関西への所属は、大学1年時の2016年に開かれた「第1回夢の種オーディション」に合格したことによるもので、同事務所が運営するアナウンススクール「セント・フォース カレッジ」の1期生でもある[6]。さらに、同年には今宮戎神社の福むすめに選出。2018年のミス・ユニバースジャパン大阪大会では審査員特別賞を受賞した。佐伯スクールでアナウンスを学ぶ。
大学卒業後の2020年4月1日付で、大野雄一郎と共に、アナウンサーとして朝日放送テレビに入社。ラジオ(グループ会社の朝日放送ラジオ)では、入社後の7月1日(水曜日)13時台に『ABCニュース』で「初鳴き」(朝日放送グループが制作する番組への本格的なデビュー)を果たすと、7月16日から10月1日までの木曜日に『武田和歌子のぴたっと。』の中継リポートをレギュラーで担当した。テレビでは、同年10月改編から『キャスト』(平日夕方の関西ローカル向け報道・情報番組)[7]と『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送テレビ本社からの生放送による土曜日午前の全国ネット番組)にレギュラーで出演。『旅サラダ』では2009年4月4日放送分から朝日放送→朝日放送テレビのアナウンサー1名が代々スタジオレギュラーに加わっているが、新人アナウンサーからのレギュラー起用は東が初めてである[8]。
「アナウンサーとしての取材や放送(担当番組)で自分にできる限りの仕事を重ねるなかで、『自分の表現や考えをいったん見直す意味でも、新しい場所で学ぼう』という気になった」とのことで、2023年9月からは朝日放送テレビを休職したうえで、2024年6月頃の復職を前提にフランスへ留学。これに伴って、『旅サラダ』を2023年8月26日放送分で卒業すること[9]を皮切りに、担当番組を順次降板した。
休職中には、パリを拠点にフランス語や芸術の研鑽を積むかたわら、15以上の国や地域を訪問。2024年に入ってからは、チェコの大学で1か月にわたって国際政治学、イギリスでイラストレーションを学んでいた[10]。同年5月に日本へ帰国したうえで、翌6月に朝日放送テレビへ復職。復職後は、休職前と同じ部署(編成局内のアナウンス部)でアナウンス業務を徐々に再開している[11]。なお、朝日放送テレビでは東の復職を受けて、「東留伽アナ アートなボンジュール!会」(有料定員制のトークイベント)を2024年7月20日に本社の一角で開催。このイベントでは、本人が柴田博(上司に当たるアナウンサー)とのクロストークを通じて留学中の生活を報告したほか、本人が留学中に描いていた絵画の一部が会場に展示された[12]。
Instagramの個人アカウントでは、『朝だ!生です旅サラダ』で担当していた「日本全国コレうまの旅」(日本各地の美味しい飲食物をいわゆる「アポなし取材」方式で探し出す視聴者プレゼント連動型のロケ企画シリーズ)に関する動画を投稿したことがきっかけで、(日本以外の国・地域を含めた)フォロワーが2023年3月下旬の時点でおよそ27万人にまで達したという[13]。当時はプライベートに関する投稿を一切控えていたが、朝日放送テレビからの休職中にパリでの生活を始めてからは、instagramを通じて近況を随時報告している。
2025年4月より東京大学大学院に入学し、美学芸術学を学んでいる。大学院進学に際しては「平日2日間を指定休日とし、週末の土曜・日曜に出勤する」シフトに変更してもらったという[14]。また2025年度二科展絵画部に初めて応募して入選を果たしている[14]。
2026年1月31日付を以て5年9か月在職した朝日放送テレビを退職。これに伴い担当番組も降板した。退職後は東京大学大学院での学びを進め、画家を目指し自身の個展の開催を視野に入れている。またフリーアナウンサーとしての活動も考えており、様々なジャンルに挑戦したいという希望を持っているという[14]。
2026年2月16日、サンミュージックプロダクションへの所属が発表された[2]。