松原亘子
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島根県出身。1959年、東京都立日比谷高等学校卒業[3]、1964年、東京大学教養学部を卒業し、労働省入省[1]。東大在学中の4年次に国家公務員に志望変更し、一年留年して入省した。当時女性は少なく、この年(1964年)上級職で採用された同期女性は厚生省の横尾和子(のちの最高裁判所判事)、通産省の伊藤よし子(のち蒲よし子、夭折)ら数えるほどであった[4]。
入省後、婦人局長、労働基準局長、労政局長を経て[1]、1997年に女性初の事務次官(労働事務次官)に就任したが[5][6]、これは日比谷高出身で同期入省の七瀬時雄の後を受けて事務次官に就任した珍しい事例となる。“次官の同期は去る”という霞ヶ関のルールを覆し、次官候補に挙がっていた理由は、男女雇用機会均等法、育児休業法、介護休業法(現在の育児介護休業法)などの策定に中心的に関わった松原を就任させなければ、以後、"女性次官"は現れてこないだろうと言われる逸材であったからとされている[7]。
1998年10月に退官後は、駐イタリア兼アルバニア兼サンマリノ特命全権大使を務めた。この人事は、外務省が不祥事で世論から批判を浴びる中、G8国の大使ポストの1つを外務官僚以外から出すようにと、政権与党から外務省に要求があったことによる[要出典]。
通称ないしニックネームは「まつばら たんこ」[7]。夫で、同じく労働省官僚(職業能力開発局長)であった松原東樹は日比谷高校の一年後輩であり、東大の同級生にあたる。
学歴
- 1959年3月 東京都立日比谷高等学校卒業
- 1964年3月 東京大学教養学部国際関係論分科卒業
- 1967年 フルブライト奨学金でイリノイ大学大学院留学(1969年まで)[9]。