松永章
日本のサッカー選手
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経歴
1967年の藤枝東高校3年次にはキャプテンとして同校を戦後初となる選手権、高校総体、国体の3冠獲得に導き(なお、3年時の公式戦の記録は72戦70勝2分である)日本ユース代表に選出された。その後、早稲田大学を経て、1971年に日本サッカーリーグの日立製作所サッカー部に入部した。
日立では監督・高橋英辰の厳しい指導の下「走る日立」の異名で呼ばれたチームの中心選手として1972年の日本リーグ初制覇に貢献。また、得点ランキングにも常に顔を出し、釜本邦茂とは毎年激しい得点王争いを繰り広げ、2年連続で得点王(1972年、1973年)に輝いた。JSL通算82得点は釜本、碓井博行に次ぐ第3位。1974年第13節のトヨタ自動車工業サッカー部戦において、ダブルハットトリック(1試合6得点)を記録した。
1973年から1977年にかけて日本代表にも選ばれ1976年にはモントリオールオリンピック予選などに出場したが、同じポジション(純粋なセンターフォワード)に釜本邦茂がおり、また自身も肝心な時期に骨折に見舞われ、国際Aマッチは10試合出場の2得点であった。
引退後は母校の早稲田大学ア式蹴球部の監督を務め、1993年、1994年に全日本大学サッカー選手権大会、1996年に関東大学リーグ優勝に導いた。
2014年5月31日に開催された「サッカーレジェンドマッチ」に出場した[1]。
エピソード
所属クラブ
個人成績
その他
- JSL選抜チーム(1974年)1試合0得点
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 10試合 2得点(1973-1976)
出場
| No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1973年05月22日 | ●0-1 | 長沼健 | ワールドカップ予選 | |||
| 2. | 1973年05月26日 | ●0-1(延長) | ワールドカップ予選 | ||||
| 3. | 1973年06月23日 | ●0-2 | 日韓定期戦 | ||||
| 4. | 1976年01月25日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ●1-3 | 朝日国際サッカー大会 | |||
| 5. | 1976年01月28日 | 長居陸上競技場 | △1-1 | 朝日国際サッカー大会 | |||
| 6. | 1976年02月01日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ●0-3 | 朝日国際サッカー大会 | |||
| 7. | 1976年03月17日 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ○3-0 | オリンピック予選 | |||
| 8. | 1976年03月27日 | △2-2 | オリンピック予選 | ||||
| 9. | 1976年03月31日 | ●0-3 | オリンピック予選 | ||||
| 10. | 1976年04月11日 | ●1-4 | オリンピック予選 |
得点数
指導歴
- 早稲田大学ア式蹴球部 監督
著書
- 松永章 -『最後に勝つサッカー ハイエナと呼ばれた得点王』(日貿出版社)1987