Wikiwand AI

サッカーイスラエル代表

イスラエルの男子サッカーナショナルチーム From Wikipedia, the free encyclopedia

サッカーイスラエル代表(サッカーイスラエルだいひょう、ヘブライ語: נבחרת ישראל בכדורגל、アラビア語: منتخب إسرائيل لكرة القدم)は、イスラエルサッカー協会(IFA)によって構成される、イスラエルのサッカーのナショナルチームである。

国または地域 イスラエルの旗 イスラエル
愛称 הכחולים-לבנים (The Blue and Whites)
הנבחרת (The Chosen Team)
監督 イスラエルの旗 Alon Hazan
概要 サッカーイスラエル代表, 国または地域 ...
サッカーイスラエル代表
国または地域 イスラエルの旗 イスラエル
協会 イスラエルサッカー協会
愛称 הכחולים-לבנים (The Blue and Whites)
הנבחרת (The Chosen Team)
監督 イスラエルの旗 Alon Hazan
最多出場選手 ヨッシ・ベナユン(101試合)
最多得点選手 エラン・ザハヴィ(35得点)
ホームスタジアム サミー・オフェル・スタジアム
テディ・スタジアム
ブルームフィールド・スタジアム
ネタニヤ・スタジアム
ターナー・スタジアム
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1934年3月16日対エジプト
1-7
最大差勝利試合 1988年3月23日対チャイニーズタイペイ
9-0
最大差敗戦試合 2002年2月13日対ドイツ
1-7
FIFAワールドカップ
出場回数 1回(初出場は1970)
最高成績 グループリーグ敗退 (1970)
AFCアジアカップ
出場回数 4回
最高成績 優勝 (1964)
UEFA欧州選手権
出場回数 0回
閉じる

ホームスタジアムは5つあり、ハイファにあるサミー・オフェル・スタジアムと、エルサレムにあるテディ・スタジアムと、テルアビブにあるブルームフィールド・スタジアムと、ネタニヤにあるネタニヤ・スタジアムと、ベエルシェバにあるターナー・スタジアム。

歴史

20世紀

1928年に前身となる委任統治パレスチナ代表チーム(英語版)が結成された。このチームはユダヤ人選手で構成されており、アラブ人は参加していなかった。

1954年第2回マニラアジア大会がきっかけで、大会中の1954年5月8日に他の12か国と共にアジアサッカー連盟(AFC)を設立したが、加盟はしなかった。なお、AFCは政治的配慮から現在もなお、イスラエルをAFC創設メンバーとしては認めていない[1][2]。それから2年後の1956年にイスラエルサッカー協会はAFCへ加盟し、アジア代表として1970年メキシコW杯に初出場した。しかし、パレスチナ問題及び中東戦争等のイスラエル=アラブ紛争により周辺アラブ諸国との関係が悪化し、アラブ諸国やインドネシア、北朝鮮、中国を中心とした対戦拒否、大会参加拒否などのボイコットが激化。それにより、AFCに所属しながらも1972年タイ大会からAFCアジアカップへの出場を辞退せざるを得なくなった。1973年10月6日に第四次中東戦争が起こると、もはや対戦不可能な状態に陥った[3]。

翌1974年のテヘランアジア大会にイスラエル代表は出場した。大会では1次リーグ最終戦で日本を3-0で破り、2次リーグへ進出したが、2次リーグではクウェート、北朝鮮が対戦を拒否した。結果的に、イスラエル代表はこの2つの不戦勝(2試合とも2-0でイスラエル勝利の扱い)とビルマ(現ミャンマー)戦の1-0での勝利で決勝まで勝ち上がることになった。アリアメールスタジアム(現アザディ・スタジアム)に10万人の観衆を集めた決勝では開催国のイランと対戦し、30分にイランのアデルハンのシュートをイスラエルのDFシュムが自陣ゴールに蹴り込んでしまい、結局、このオウンゴールで0-1で敗れた(イランはアジア大会初優勝)[3][4]。結果的に、この試合がAFCとしての最後の試合となった。

アジア大会中の9月14日にイランの首都テヘランでAFC総会が開催され、イスラエルの除名が決まった[3]。AFC除名以降、地域連盟未所属のまま、活動することになった。

ワールドカップ予選においては1970年、1974年、1978年にはアジア・オセアニア枠へと組み込まれたが、いずれの予選のグループでもアラブ諸国と同組とならず、さらに1970年メキシコ大会のアジア・オセアニア予選と1978年アルゼンチン大会のアジア・オセアニア予選は北朝鮮が同組となったが、北朝鮮は予選自体を棄権した。1950年、1954年、1966年、1982年大会にはヨーロッパ枠へ組み込まれ、その後オセアニアサッカー連盟(OFC)の暫定メンバーとなり、1986年、1990年大会にオセアニア予選へ参加し、遠方への遠征を強いられることとなった。1990年大会のオセアニア予選では、オセアニア代表としてコロンビアと大陸間プレーオフで対戦したが、2試合合計0-1で敗れ、オセアニア代表としての本大会出場はならなかった。このためイスラエルサッカー協会は欧州サッカー連盟(UEFA)への加盟を希望していた。これが認められて1992年からUEFAに加盟している。移籍後初のW杯予選参戦となった1994年アメリカ大会欧州予選では、グループ最下位に終わったものの(1勝3分6敗)、1993年10月13日にフランスをアウェイで破る大金星を挙げ[5]、結果的に同国のW杯出場を阻んだ。

21世紀

UEFA欧州選手権出場に最も近づいたのは2000年大会で、予選6組に入りオーストリアを抑えグループ2位となりプレーオフへ進出した。プレーオフではデンマークと対戦したが、第1戦0-5、第2戦0-3と2試合合計0-8で大敗し初出場はならなかった。

2006年ドイツW杯欧州予選ではグループ4に入りフランスやスイスなどと同組となった。最終的には、本大会に出場した1970年大会予選以来となる予選無敗(4勝6分)の成績を残しスイスと勝ち点で並んだが、直接対戦の成績でスイスが上回りグループ3位でプレーオフ進出はならなかった。尚、このグループは最終的に首位で予選突破を決めたフランスから4位のアイルランドまでが勝点差3にひしめく大混戦だった(フランス20、スイスとイスラエル18、アイルランド17)。

成績

FIFAワールドカップ

さらに見る 開催国 / 年, 成績 ...
開催国 / 年成績試勝分負得失
ブラジルの旗 1950予選敗退
スイスの旗 1954
スウェーデンの旗 1958 アジア・アフリカ予選→大陸間プレーオフ敗退
チリの旗 1962 欧州予選敗退
イングランドの旗1966
メキシコの旗 1970グループリーグ敗退302113
西ドイツの旗 1974アジア・オセアニア予選敗退
アルゼンチンの旗 1978
スペインの旗 1982 欧州予選敗退
メキシコの旗 1986 オセアニア予選敗退
イタリアの旗 1990 オセアニア予選突破→大陸間プレーオフ敗退
アメリカ合衆国の旗 1994 欧州予選敗退
フランスの旗 1998
日本の旗大韓民国の旗 2002
ドイツの旗 2006
南アフリカ共和国の旗 2010
ブラジルの旗 2014
ロシアの旗 2018
カタールの旗 2022
カナダの旗メキシコの旗アメリカ合衆国の旗 2026
合計出場1回302113
閉じる

UEFA欧州選手権

さらに見る 開催年, 結果 ...
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
イングランドの旗 1996 予選敗退
ベルギーの旗 オランダの旗 2000
ポルトガルの旗 2004
オーストリアの旗 スイスの旗 2008
ポーランドの旗 ウクライナの旗 2012
フランスの旗 2016
欧州連合の旗 2020
ドイツの旗 2024
合計出場0回000000
閉じる

オリンピック

さらに見る 開催年, 結果 ...
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
フィンランドの旗 1952 予選敗退
オーストラリアの旗 1956
イタリアの旗 1960
日本の旗 1964
メキシコの旗 1968 ベスト8420297
ドイツの旗 1972 予選敗退
カナダの旗 1976 ベスト8403147
ソビエト連邦の旗 1980 棄権
アメリカ合衆国の旗 1984 予選敗退
大韓民国の旗 1988
合計2/1082331314
閉じる

AFCアジアカップ

さらに見る 開催年, 結果 ...
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
香港の旗 1956 準優勝 3 2 0 1 6 5
大韓民国の旗 1960 3 2 0 1 6 4
イスラエルの旗 1964 優勝 3 3 0 0 5 1
イランの旗 1968 3位 4 2 0 2 11 5
タイ王国の旗 1972 不参加
合計 4/15 13 9 0 4 28 15
閉じる

歴代監督

歴代記録

出場数ランキング

最多出場者のヨッシ・ベナユン

2026年1月13日時点[7]

  水色は現役代表選手
さらに見る 順位, 名前 ...
順位名前試合数得点数期間
1ヨッシ・ベナユン102241998-2017
2タル・ベン・ハイム9612002-2017
3アリク・ベナド9401995-2007
4アロン・ハラジ(英語版)8911992-2016
5ビブラス・ナトホ8842010-2023
6アミル・シェラフ(英語版)8501992-2001
7モルデハイ・シュピーグラー83321963-1977
ニル・クリンゲル(英語版)21987-1997
9アヴィ・ニムニ(英語版)80171992-2005
10イツハク・シュム(英語版)78101969-1981
タル・バニン(英語版)121990-2003
エヤル・ベルコヴィッチ(英語版)91992-2004
ドゥドゥ・アワット01999-2013
閉じる

得点数ランキング

最多得点者のモルデハイ・シュピーグラー

2019年6月10日時点[8]

  水色は現役代表選手
さらに見る 順位, 名前 ...
順位名前得点数試合数期間
1エラン・ザハヴィ3574
2モルデハイ・シュピーグラー32831963-1977
3イェホシュア・フェイゲンバウム(英語版)24511966-1977
ヨッシ・ベナユン1021998-2017
5ローネン・ハラジ(英語版)23531992-1999
6ナフム・ステルマフ(英語版)22611956-1968
7ギディ・ダムティ(英語版)20691971-1981
8イェホシュア・グレイザー(英語版)18351949-1961
ギオラ・シュピーゲル(英語版)441965-1980
10エリ・オハナ(英語版)17511984-1997
アロン・ミズラヒ(英語版)371992-2001
アヴィ・ニムニ(英語版)801992-2005
トメル・ヘメド362011-
閉じる

歴代選手

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks