板甲
From Wikipedia, the free encyclopedia
板甲(ばんこう/いたよろい、판갑∶パンガㇷ゚)は、大韓民国の考古学界における学術用語の1つ[1][2]。朝鮮半島における三国時代のうち、日本列島の古墳時代併行期にあたる4世紀から6世紀代に半島の東南部を中心に隆盛した、長方形や帯状の鉄板を組んで製作された板造り甲(鎧)を指す[3][注 1]。日本列島の古墳から出土する、現在もっぱら「短甲」と呼ばれている板造り甲(帯無式・帯金式甲冑)とは、設計・技術・構造面でその成立や変遷に関して連動的・共鳴的な関係をもつことから、日本考古学界からは、日本列島の「短甲」に対してもこの呼称(板甲)を援用すべきとする意見がある[4][注 2]。
打ち延した扁平な帯状の鉄板を地板として、縦向きまたは横向きに、革紐で綴じるか鉄鋲(リベット)で留める[注 3]ことで連接し、装甲板を構築する形態の甲である[3]。
現在の大韓民国の考古学界における朝鮮半島の古代甲冑の分類は、材質面では「皮(革)甲」・「木甲」・「鉄甲」に分けられ、構造・設計面では幅広の装甲板を用いる「板甲」と、短冊状の小形装甲板(小札)を用いた「札甲(小札甲)」に分類される[3]。
三国時代の革製・木製甲については、酸性の土壌という土地柄による有機質の遺物の残存率の低さから、発掘調査での出土例が乏しく実態解明があまり進んでいないが、鉄製甲冑に関しては古墳等からの出土例があることで研究が進んでおり、当該板甲も構造や形態に基づく分類と編年的検討が行われている[3]。
縦長板甲
鉄製の板甲に関しては、設計に応じて以下の分類が行われている。
縦長の長方形鉄板を胴部に横一列に並べ、革結び技法や革綴技法、鋲留(釘結)技法で連接して装甲を形成する。4世紀初頭に出現し、5世紀中葉に至るまで、朝鮮半島南東部の新羅・伽耶地域(現在の釜山や金海地域)で隆盛した当地独特の甲とされる。
胴部背面(後胴)の上部には首の後ろを防御する半円形の「頸板」がつき、両肩の綿上(わたがみ)部には、三日月形で首の両サイドを守る「側頸板」が付く[3]。
日本列島の古墳時代前期に見られる竪矧板革綴甲(短甲)と近似し、製作技術・設計思想に強い影響があったと考えられている[3]。
方形板甲
方形の鉄板を横向きに連接して装甲とする甲であり、釜山広域市の福泉洞古墳群・64号墳で1例のみで出土している。縦長板甲と、後述の帯金式板甲の中間的構造と考えられている[3]。
帯金式板甲
帯状の細長い鉄板(帯金)を横方向に組んでフレームとし、間を長方形・三角形・帯状などを呈する地板で埋める構造の甲である。日本列島の古墳時代中期(5世紀)に隆盛し、現在、日本国内では「短甲」と呼ぶことが一般化し、京都国立博物館研究員(2025年現在[5])の古谷 毅(ふるや たけし)が「帯金式甲冑」と定義している日本列島の板造り甲と同一の構造・形態を持つ[3][6][7]。5世紀後半の洛東江下流西側の地域で集中して出土する[3]。
これらの帯金式板甲は、朝鮮半島南東部の伽耶地域で縦長板甲から発展して製作され、日本列島に伝わったとする見解や、朝鮮半島から日本列島に伝わった竪矧板革綴甲から発展し、帯金式板甲として列島から朝鮮半島南部に伝わったとする見解など、成立や変遷の過程について様々な意見がある[3]。
いずれにせよ日韓の考古学界では、朝鮮半島南東部と日本列島に見られる帯金式板甲(帯金式甲冑)は技術・設計の面で何らかの共鳴関係にあると考えられている[4]。また古代東アジアにおいて、このような板造り甲を製作・使用するのが、朝鮮半島南東部と日本列島の2地域だけに限られていることも、極めて特徴的な事象として捉えられている[8]。
縦長板冑

板甲と技術面で共通する冑では、半球形の鉢部に縦長の鉄板を連接する縦長板冑が存在する。板甲の成立よりやや遡る4世紀初頭に出現するが、板甲と異なり地域的な偏在がなく、縦長板甲や帯金式板甲、さらにその後の6世紀以降に隆盛する札甲ともセット関係をもち、普遍的な分布・変遷の様相を持つ[3]。
日本における用語の問題
「板甲」は、大韓民国の考古学界で朝鮮半島の三国時代の遺跡から出土する板造り甲に対して使われる呼称であるが、日本の考古学界の一部では、古墳時代の日本列島の遺跡(主に古墳)から出土するいわゆる「短甲」を「板甲」との呼称に改めるべきではないかとする意見がある[9][10]。
日本で、日本列島の古墳出土の帯金式甲を「短甲」と呼ぶようになったのは、研究史上の過程で、奈良・平安時代の史料に出てくる当時の甲冑の呼称(短甲)を、実際にどのように呼ばれていたかはっきりしない古墳時代の帯金式甲冑に便宜的に当てはめたことに始まる[11]。しかし現在の研究では、奈良・平安時代の「短甲」は、実際の形態ははっきりしないものの明らかに小札甲であると考えられており、史料の示す甲冑形態と、現代の学術用語の示す甲冑の形態との間に齟齬が生じた状態となっている[8]。
資料の実態に一致しない名称(短甲)を学術用語として100年近く使用している現状を問題視する鹿児島大学総合研究博物館教授の橋本 達也らは、当該時期の日本列島と朝鮮半島南東部の甲冑は技術・設計の面で連動・共鳴的関係にあり、列島と半島で形態がほぼ同一の帯金式甲が出土していることや、また「板甲」の方が、より資料の実態に基づいた考古学的な名称であるとして、日本列島出土のもの(短甲)も、板甲と呼ぶべきではないかとしている[9]。