林啓介
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プロ入り前
福井県鯖江市出身。福井県立福井商業高等学校時代はエースとして2005年の甲子園に春・夏連続出場。チームメイトだった齊藤悠葵と共に「右の林、左の齊藤」のツインタワーと称される一方で、春の大会では、ストレートが最速で145km/hを記録した[1]。
同年の高校生ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名を受けて入団[1]。「入団後数年後に先発ローテーションの柱となる素材」として期待された[1]。なお、このドラフトでは齊藤も広島東洋カープからの3巡目指名を受けて入団している。
ロッテ時代

2006年には、イースタン・リーグで公式戦12試合に登板。0勝0敗、防御率6.75という成績を残した[2][3]。シーズン終了後には、この年から9年振りに再開された ハワイ・ウィンターリーグへ派遣された[4]。
2007年には、イースタン・リーグ公式戦7試合に登板。0勝2敗、防御率9.18に終わった[4][5]。
2008年は、イースタン・リーグ公式戦5試合の登板で、0勝0敗、防御率11.81[6][7]。素材の高さを評価される一方で、制球力の悪さを指摘されていた[6]。
2009年は、一・二軍を通じて、公式戦への登板機会がなかった[8][9]。しかし、2010年は、イースタン・リーグの公式戦で25試合に登板。シーズン通算の成績こそ1勝3敗7S、防御率8.00[10][11]であったが、フレッシュオールスターゲームにはイースタン選抜の一員として初めて登板した[10]。
2011年は、イースタン・リーグの公式戦で、入団以来自己最多の30試合に登板。0勝2敗0Sながら、防御率は自己最高の3.27を記録した[12][13]。
2012年には、イースタン・リーグの公式戦14試合に登板。0勝1敗0S、防御率4.50の成績を残した[14][15]が、一軍へ昇格する機会のないまま、10月7日に戦力外を通告された[16]。
阪神時代
ロッテからの戦力外通告後に12球団合同トライアウトを受験。2012年12月5日に、阪神タイガースが育成選手としての契約したことを発表した[17]。背番号は117。
2013年には、7月23日に支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を98に変更。しかし、復帰後も一軍公式戦への登板機会がないまま、10月1日に球団から自身2度目の戦力外通告を受けた[18]。阪神在籍中の成績は、ウエスタン・リーグ公式戦25試合の登板で、0勝0敗0S、防御率6.38[19]。
社会人野球時代
2014年からは西濃運輸に入社[20]、同社の硬式野球部に所属したが、翌2015年の第86回都市対抗野球大会終了後に退部した。[21]