柴崎貴広

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愛称 シバ[1][2]
カタカナ シバサキ タカヒロ
ラテン文字 SHIBASAKI Takahiro
国籍 日本の旗 日本
柴崎 貴広
名前
愛称 シバ[1][2]
カタカナ シバサキ タカヒロ
ラテン文字 SHIBASAKI Takahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-05-23) 1982年5月23日(43歳)
出身地 神奈川県横須賀市[3]
身長 189cm
体重 85kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足[1][2]
ユース
1998-2000 日本の旗 向上高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 日本の旗 東京ヴェルディ1969 2 (0)
2004 日本の旗 横浜FC (loan) 1 (0)
2005 日本の旗 横浜FC 0 (0)
2006 日本の旗 FC東京 0 (0)
2007-2021 日本の旗 東京ヴェルディ 138 (0)
2013 日本の旗 横浜FC (loan) 13 (0)
2022 日本の旗 SC相模原 5 (0)
2023 日本の旗 カターレ富山 1 (0)
通算 160 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

柴崎 貴広(しばさき たかひろ、1982年5月23日 - )は、神奈川県横須賀市出身[3]の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)

小学校1年時にサッカーを始める[2]横浜マリノスジュニアユース追浜出身で、1998年向上高等学校に進学。3年生時の2000年に神奈川県選抜として国体に出場[4]

2001年東京ヴェルディ1969に入団。3シーズン過ごしたが、高木義成高桑大二朗の後塵を拝して試合出場は2試合に留まり、出場機会を求めて2004年に横浜FCへ期限付き移籍[5]。横浜FCでは子供の頃から憧れていた三浦知良[6]と同じチームで日々練習できた事、三浦のプロ意識を間近で見ることが出来た事で自らのプロ意識も高まった。2005年に完全移籍するも[7]菅野孝憲からポジションは奪えず同年で戦力外通告を受け[8]Jリーグ合同トライアウトに参加。

トライアウト後すぐにFC東京への移籍が決定[6][4]。自身の長所を掴むべく、GKとしてのスタイル構築に取り組んだ[6]。しかし、FC東京の正GKには土肥洋一が定着しており、さらに塩田仁史の台頭もあってベンチ入りの機会すら得られなかった。

2007年、4年ぶりに東京Vに復帰[9][10]。FC東京でもポジションを争った土肥と高木義成に次ぐ第3GKとしての日々が続いていたが、高木が名古屋グランパス移籍後の2011年5月9日・J2第11節の岐阜戦にて、プロ入り11年目にして初勝利を挙げる。以降は負傷離脱した土肥に代わって[11]正GKを務め、自己最多の36試合に出場。低いボールへの好反応とリーチの長さを発揮した[11]2012年も引き続きレギュラーを務めていたが、徐々にミスが散見するようになり夏場から復帰した土肥にポジションを奪われた。

土肥が引退した2013年ギラヴァンツ北九州から加入した佐藤優也に押し出される形で古巣の横浜FCへ期限付き移籍で復帰[3]。開幕からポジションを獲得したが、出場した10試合でわずか2勝しかできずにシュナイダー潤之介にその座を奪われた。同シーズン終了後、期限付き移籍期間満了によって退団[12]

2014年、東京ヴェルディへ復帰[13]。相変わらず佐藤の控えながら、GK陣最年長選手としてチームを支えた[14]。 同年7月13日、天皇杯ギラヴァンツ北九州戦で負傷。右第5趾基節骨骨折、全治2-3ヶ月の診断を受けた[15]。 佐藤がジェフ千葉へ移った2016年より背番号を「1」に変更。開幕からレギュラーを務めるものの、中盤戦は鈴木椋大にポジションを譲った。終盤戦はポジションを奪還したものの19試合出場に終わった。

鈴木が退団した2017年は自身初の全試合フル出場を果たすも、2018年大分トリニータから加入した上福元直人にポジションを明け渡し、出番は無かった。上福元が徳島ヴォルティスに移籍した2020年は3シーズンぶりの開幕スタメンを勝ち取ったものの、新加入のマテウスにポジションを奪われ、最終的には5試合の出場に留まった。2021年もマテウスのバックアッパーに留まり、12月4日に契約満了による退団が発表された[16]。2021年12月9日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場[17]

2022年SC相模原へ加入[18]。シーズン終盤に5試合出場したが、若返りを図るチーム構想から外れ、シーズン終了後に契約満了の通告を受ける。同年11月28日、カンセキスタジアムとちぎで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[19]

2022年12月15日、カターレ富山への移籍が発表された[20]

2024年1月5日、現役引退が発表された[21]

2025年4月1日、法政大学体育会サッカー部GKコーチに就任したことが発表された[22]

人物

  • 料理好きで[6]愛犬家[1]。ジャンとモカという2匹を飼っており、ブログに写真付きでよく登場する。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001東京V26J100000000
20021220000020
2003100000000
2004横浜FC12J210-1020
200500-0000
2006FC東京34J100000000
2007東京V26J200-0000
2008J100000000
2009J200-0000
201020-0020
2011360-20380
2012240-20260
2013横浜FC130-00130
2014東京V10-1020
201510-1020
20161190-00190
2017420-00420
201800-3030
201900-1010
202050--50
202180-1090
2022相模原J350--50
2023富山10-0010
通算日本J1 20000020
日本J2 1520-1201640
日本J3 60-0060
総通算 1600001201720

その他公式戦

代表・選抜歴

指導歴

脚注

関連項目

外部リンク

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