梨 (樅型駆逐艦)

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艦歴
計画1917年度[1]
起工1918年12月2日[1]
進水1919年8月26日[1]
就役1919年12月10日[1]
除籍1940年2月1日[1]
性能諸元(計画)
排水量基準:公表値 770トン
常備:850.00トン
全長全長:290 ft 0 in (88.39 m)
水線長:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水8 ft 0 in (2.44 m)
深さ16 ft 3 in (4.95 m)
推進2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
機関主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[2]
出力:21,500shp
ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
速力36ノット
燃料重油250トン
航続距離3,000カイリ / 14ノット
乗員計画乗員 107名[3]
竣工時定員 110名[4]
兵装45口径三年式12cm砲 単装3門
三年式機砲 2挺
53cm連装発射管 2基4門
魚雷8本
搭載艇内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻
備考※トンは英トン

(なし)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の5番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「」があるため、こちらは「梨 (初代)」や「梨I」などと表記される。

1918年大正7年)12月2日、神戸川崎造船所で起工[5]1919年(大正8年)8月26日午前7時進水[6]。同年12月10日竣工[7]

1940年(昭和15年)2月1日除籍。後に解体された[8]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 安東昌喬 少佐:1919年8月5日[9] -
  • 津田威彦 少佐:不詳 - 1919年11月15日[10]
  • (兼)津田威彦 少佐:1919年11月15日[10] -
駆逐艦長
  • 津田威彦 少佐:1919年11月15日[10] - 1920年7月15日[11]
  • (心得)鈴木清 大尉:1920年7月15日[11] - 12月1日
  • 鈴木清 少佐:1920年12月1日[12] - 1921年12月1日[13]
  • 近藤英次郎 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
  • 根岸清八 少佐:1922年12月1日[14] - 1923年11月20日[15]
  • (心得)藤田類太郎 大尉:1923年11月20日 - 1923年12月1日
  • 藤田類太郎 少佐:1923年12月1日 - 1924年8月20日
  • (心得)柴田力 大尉:1924年8月20日 - 1924年12月1日
  • 柴田力 少佐:1924年12月1日 - 1926年4月20日
  • 井原美岐雄 少佐:1926年4月20日[16] - 12月1日[17]
  • 橋本信太郎 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
  • 杉本道雄 少佐:1927年12月1日 - 1929年1月15日
  • 岡野慶三郎 少佐:1929年1月15日[18] - 1929年11月30日[19]
  • 松田尊睦 大尉:1929年11月30日 - 1930年11月1日
  • (兼)吉村真武 少佐:1930年11月1日[20] - 1930年12月1日[21]
  • 直井俊夫 少佐:1930年12月1日[21] - 1932年12月1日[22]
  • (兼)吉村真武 少佐:1932年12月1日[22] - 1933年4月1日[23]

脚注

参考文献

関連項目

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