蓮 (駆逐艦)
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1921年(大正10年)3月2日、浦賀船渠で起工。12月8日進水。1922年(大正11年)7月31日竣工。
1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争に参戦。上海において巡洋艦「出雲」、砲艦「鳥羽」と共に、イギリス砲艦「ペテレル」 (HMS Peterel) を撃沈し、米砲艦「ウェーク」を捕獲した。その後、上海方面での船団護衛、哨戒作戦に従事。
1942年12月21日に「蓮」と駆逐艦「栗」は第六師団の輸送である六号輸送の第一船団(「神愛丸」、「第一眞盛丸」、「旭盛丸」、「乾坤丸」、「妙法丸」)と第二船団(「大井川丸」、「大平丸」、「帝洋丸」、「加茂丸」、「明宇丸」)計12隻(2隻船名不詳)を護衛して上海の呉淞を出発し、12月24日に馬公に到着した[1]。
1944年(昭和19年)8月2日、揚子江で触雷し、上海に曳航され約一ヶ月間修理を実施[2]。9月3日、修理を終えて現場に復帰[2]。
1945年(昭和20年)1月15日、香港で米空母艦載機の攻撃を受け損傷。上海で修理。2月16日、偶然に、北号作戦で北上する第四航空戦隊と遭遇。感激した「蓮」の堀之内艦長は四航戦からの誰何信号に「われ蓮、今より貴隊を護衛せんとす」と発信して艦隊の右正横3000mに占位したが、当時荒天ということもあり戦艦中心の艦隊速力について行けず、「蓮」は30分程で後落した[要出典]。6月25日、青島に回航。その後、大連と上海間における船団護衛、輸送任務に従事。
8月15日、青島で終戦を迎える。
9月中旬に日本に回航され、佐世保港に繋留。復員輸送に従事の計画であったが、再整備費用が多額を見積もられたため中止となる。
1948年(昭和23年)4月、佐世保港で解体され、船体は福井県丹生郡越前町四箇浦港の防波堤として使用された、とされることが多いが、遺構はなくまた、実際に現地で使用された記録は無いため、計画のみであったと推測されている。[要出典]