菫 (樅型駆逐艦)

From Wikipedia, the free encyclopedia

艦歴
計画1917年度[1]
起工1920年11月24日[1]
進水1921年12月14日[1]
就役1923年3月31日[1]
その後1940年11月15日雑役船編入、練習船指定、兵学校附属[1]
1945年2月23日「三高」に改名[1]
終戦時、江田内に所在[1]
1948年3月解体完了[2]
除籍1940年2月1日[1]
性能諸元(計画)
排水量基準:公表値 770トン
常備:850.00トン
全長全長:290 ft 0 in (88.39 m)
水線長:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水8 ft 0 in (2.44 m)
深さ16 ft 3 in (4.95 m)
推進2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
機関主機:ツエリー式オールギアードタービン(高低圧) 2基[3]
出力:21,500shp
ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
速力36ノット
燃料重油240トン
航続距離3,000カイリ / 14ノット
乗員計画乗員 107名[4]
竣工時定員 110名[5]
兵装45口径三年式12cm砲 単装3門
三年式機砲 2挺
53cm連装発射管 2基4門
魚雷8本
搭載艇内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻
備考※トンは英トン

(すみれ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の18番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「」があるため、こちらは「菫 (初代)」や「菫I」などと表記される。

1920年大正9年)11月24日、東京石川島造船所で起工[6]1921年(大正10年)12月14日午後3時30分進水[7]1923年(大正12年)3月31日竣工[注釈 1][6]

1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)まで、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]

1940年(昭和15年)2月1日除籍[注釈 2]。同年11月15日、雑役船に編入され海軍兵学校付属の練習船となる。

1945年(昭和20年)2月23日、菫 (橘型駆逐艦)との区別のため、三高(みたか)に改称。終戦時、江田内に所在し、1948年(昭和23年)3月に解体が完了した。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 浅井次郎 少佐:1921年11月20日[8] - 1922年3月24日[9]
駆逐艦長
  • 浅井次郎 少佐:1922年3月24日[9] - 1923年12月1日[10]
  • 五十嵐恵 少佐:不詳 - 1924年12月1日[11]
  • 神山徳平 少佐:1924年12月1日[11] - 1925年12月1日[12]
  • 河原金之輔 少佐:1925年12月1日[12] - 1926年12月1日[13]
  • 勝野実 少佐:1926年12月1日 - 1927年6月20日
  • 藤田類太郎 少佐:1927年6月20日 - 1927年12月1日
  • 津田源助 少佐:1928年2月10日[14] - 9月27日[15]
  • (兼)金桝義夫 少佐:1928年9月27日 - 1928年11月20日
  • 植田弘之介 少佐:1928年12月10日[16] - 1930年12月1日[17]
  • (兼)重久親志 大尉:1930年12月1日[17] - 1931年10月24日[18]
  • 清水利夫 少佐:1931年10月24日 - 1933年11月15日
  • 中村謙治 少佐:1933年11月15日[19] - 1934年11月15日[20]
  • 吉川潔 大尉:1934年11月15日 - 1935年11月15日

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI