森川一二三
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1970年11月7日の三条第10競走・イスズキング(8頭中5着)で初騎乗を果たし、同27日の三条第1競走(7頭立て)・コダマチカラで初勝利を挙げる[2] [1]。
森川を取材した競馬評論家の渡辺敬一郎曰く、森川は「照れ屋でナーバス、悪だくみなどと何の縁もなさそうな、いい男」[3]であったが、昭和30年代に馬主であった暴力団関係者との付き合いで、何度も八百長を強制されたこともあった[4]。騎手という人気のある職業柄、キャバレーや座敷などに招待され、その内に八百長をほのめかされる[5]。関係者の男は自分の馬が人気になったら、森川を乗せて手綱を抑えることにするため、少頭数のレースで森川の騎乗馬が消えれば、連勝馬券はかなり限られてくるため、男が大勝負をした[5]。それで開催委員にも睨まれ、ついには警察にマークされた。森川も随分逃げまくったが、あるレースでとうとう実行してしまい、すぐに発覚して警察に追われた。そのレースは男から「3着に落ちろ」と命令されたが、馬が強くて2着に抑えるのが精一杯であった[5]。これで男の怒りをかい、男の子分たちに追われるようになった。地方の温泉宿でも夜中に渓流の音で目が覚めて跳び起きる[5]など恐怖に怯え、ついに観念して、警察に出頭[6]。以後の裁判で幸運にも執行猶予がつき、厩務員として働き、性来の真面目さが評価され、再度騎手に返り咲く[6]。
復帰後は渡辺正治・向山牧・榎伸彦・酒井忍・山田信大と熾烈なリーディング争いを毎年繰り広げ、1996年には116勝を記録してリーディングジョッキーを獲得[7]するなど、信頼性抜群のいぶし銀として活躍[8]。
1974年12月13日の新潟・アラ3才ヘで10頭中8番人気のリアールに騎乗して勝利し、2着に7番人気ニューキングが入り、枠連104,050円は県競馬が廃止するまで破られなかった[9]。
1986年の東北優駿ではダイスプリンターで岩手のトウケイフリートを破り[10]、1988年にはツカサアコードで新潟皐月賞[11]・新潟ダービー[12]・東北ダービー[13]を制覇。
1987年・1990年には『韓日ジョッキーカップ』、1992年・1994年・1996年・1997年には『ニイガタジョッキーカップ』と韓国の騎手交流競走に6度出場[14]し、県競馬が韓国騎手を招待して行われた『日韓チャレンジカップ』では1993年に優勝[15]。
1993年にはヘイセイヒメで北日本オークス[16]、1994年にはダービーアールで新潟グランプリ[17]を制す。
森川は取材に来た渡辺に「いつかは中央競馬で」と目を輝かせていたが[3]、1995年8月19日の新潟(中央)第10競走ダリア賞・ハイフレンドムーンで中央初騎乗を果たし、地方勢では岩手のサカモトデュラブに次ぐと同時に中央2頭に先着するなど7頭中4着[18]と健闘。
同年から開始されたJRA認定競走「登竜門」[19]ではハイフレンドムーン[20]のほか、後に福島3歳ステークス4着[21]となるキッポーリックで勝利し[22]、暮れには青山記念をハギノカムイオー産駒フリーダムワールド[23]で制す。
1996年からは中央から移籍してきたヤングノーブル[24]、中央未出走で移籍してきたロバリーハート[25]の主戦騎手を務める。ロバリーハートでは重賞勝ち前に向山に交代しているが、デビューから手綱を取り、森川とのコンビでは9連勝を記録[25]。ヤングノーブルでは1996年の日本海シーサイドカップ、1997年には三条記念・朱鷺大賞典を制し、1996年の東北サラブレッド大賞典ではクビ差2着と堅実に走った[26]。
1999年にはトニービン産駒ミスズトニーオーで新潟グランプリを制し[26]、向山のグランプリ5連覇を阻止[27]。
2001年にはヒシマサル産駒ヤングルーラーで新潟皐月賞を5馬身差圧勝[28]の一冠目、ストロングゲイルで銀蹄賞を完勝[28]でのアラブ古馬ナンバーワンに導く[26]。12月31日の新潟第7競走一般B3ハ・セイワマーブル[29]が県競馬での最後の勝利となり、県競馬最後の日となった2002年1月4日は新潟第2競走3歳B1・グレートアビリティで9頭中2着[30]となるが、第3競走以降は雪で開催中止になったため、最後の騎乗となった[31] [32]。
廃止後は道営・成田春男厩舎に移籍し[1]、4月10日の門別第3競走3歳未勝利・スマイルマーク(12頭中4着)[33]が移籍後初騎乗を果たす[32]。翌11日の第2競走3歳未勝利・オンユアスポート[34]で移籍後初勝利[35]を挙げるが、同年限りで現役を引退[36] [32]。
同年6月26日の旭川第5競走3歳オープン・ナイトロクイーン[37]が最後の勝利、7月4日の旭川第10競走池田町長杯十勝ワイン特別・ノーザンウェーで2000年のジャパンダートダービー3着馬タキノスペシャルの2着[38]に入ったのが最後の騎乗となった[36] [32]。
引退後は北海道沙流郡日高町の西山牧場[39]育成センター場長を務め、ニシノブルームーンの育成、休養を支えた[40]。60歳を過ぎた現在も元気に騎乗している[41]。