植田平太郎

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青年期

愛媛県香川郡池西村(現香川県高松市)生まれ。父与佐衛門は天真正伝神道流剣術に堪能で、農業のかたわら自宅に道場を開いていた。平太郎は14歳から与佐衛門に天真正伝神道流剣術を学び、30歳のとき皆伝を授かった。また、16歳から叔父の酒井親時に宅間当流柔術を学んだ。

1896年(明治29年)から四国一円を武者修行する。1905年(明治38年)1月、京都大日本武徳会本部講習生となり、同年5月に帰郷した。

試合記録

  • 1907年(明治40年)10月、高知県で開かれた剣道大会で27人を勝ち抜き優勝。全国に名前が広まったという。
  • 1936年(昭和11年)8月、若手の実力者中倉清が香川に来訪したので、中倉に一週間稽古を付けた。

居合

1919年(大正8年)、高知の細川義昌に入門して無双神伝英信流抜刀術(居合)を学ぶ。同門には中山博道がいた。1923年(大正12年)、細川から免許皆伝を授かった。無双神伝抜刀術兵法17代目を継承し、1949年(昭和24年)7月25日、尾形郷一貫心に18代宗家を紹統允可した。

死後

1974年(昭和49年)2月23日、香川県知事金子正則が祭主となり、「植田平太郎之命」(ウエダヘイタロウノミコト)として香川県善通寺市讃岐宮に祀られた。香川県では現在も「植田平太郎範士杯」争奪剣道大会が開かれている。

三男の植田一全日本剣道選手権大会準優勝などの実績を残し、範士九段まで昇段した。

段位称号

脚注

参考文献

関連項目

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