楊厳
唐代の官僚
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経歴
会昌4年(844年)進士に及第した。節度使の属官を初任とした。咸通2年(861年)、吏部員外郎に累進した。吏部郎中に進み、給事中となった[1][2]。咸通3年(862年)、工部侍郎に任じられ、まもなく翰林学士として召し出された[4]。咸通4年(863年)、兄の楊収が宰相となると、楊厳は外任を求めて、越州刺史・兼御史中丞・浙江東道都団練観察等使として出向した。咸通8年(867年)、楊収が宰相を退任されると、楊厳は邵州刺史に転じた。咸通14年(873年)、僖宗が即位すると、楊収が死後に名誉を回復し、楊厳は吉王傅に移された[1][2]。この年、再び給事中となった[5]。乾符4年(877年)、兵部侍郎に累進した。乾符5年(878年)、判度支となった。この年のうちに病没した[1][2]。