横山光次

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1933-06-01) 1933年6月1日(92歳)
没年月日 2025年5月19日(91歳)
横山 光次
阪神タイガース
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東淀川区
生年月日 (1933-06-01) 1933年6月1日(92歳)
没年月日 2025年5月19日(91歳)
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1952年
初出場 1954年
最終出場 1964年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

横山 光次(よこやま みつつぐ[1]、こうじ、1933年6月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。

大阪市立扇町商業高等学校(現:大阪市立扇町総合高等学校)のエース、四番打者として、1951年選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で新宮高を完封で降し、準々決勝(2回戦)に進むが、大会に優勝した鳴門高に敗退[2]。同年夏の甲子園大阪大会は準々決勝で高津高に敗れる。

同年に阪神タイガースの入団テストを受け合格、直後に外野手に転向。1954年に初出場を果たし、翌1955年には一軍に定着する。1958年には主に右翼手として88試合に先発出場、四番打者としても26試合に起用される。1959年には初の規定打席(17位、打率.256)にも達した。1961年までレギュラーを守るが、1962年には藤井栄治が入団したこともあり出場機会が減少。同年の東映フライヤーズとの日本シリーズでは代打として5試合に起用され、最終第7戦で二塁打を放つ。1964年南海ホークスとの日本シリーズでも2試合に代打として出場、1安打を放つが同年限りで退団した。

並木輝男大津淳マイク・ソロムコらと併用され、晩年には相手先発投手が左腕の時の起用が多かった。また代打としても活躍し、代打本塁打は通算8本。1964年6月11日中日戦で、藤村富美男に次ぐ球団史上2人目の代打満塁本塁打を記録。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1954 大阪
阪神
699210001000000--002.111.111.111.222
1955 69122111162360235103212701213.207.261.315.576
1956 8621720118405125313104321001346.199.241.264.504
1957 7118417121401134691145211000281.234.276.404.680
1958 1133653272878121510745142942223468.239.293.327.620
1959 12344640736104234815937861202017715.256.302.391.693
1960 94255236175712238220102411004385.242.284.347.631
1961 105304285287011251001653311114418.246.283.351.634
1962 671049771611225111001600284.165.214.258.471
1963 87143132143131551171001911103.235.289.386.675
1964 6774652112011611101170095.169.250.246.496
通算:11年 888222320411894718615376981915724351411252132650.231.278.342.620
  • 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更

背番号

  • 43(1952年 - 1954年)
  • 21(1955年 - 1964年)

脚注

関連項目

外部リンク

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