横川重次
日本の実業家、政治家 (1894-1964)
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経歴
埼玉県比企郡大河村腰越(現・小川町)出身[1][2]。横川宗作の長男[2][4][6]。旧制早稲田中学を経て[要出典]1917年、早稲田大学大学部文学科哲学科卒業[4][5]。ドイツに留学し[1]、ベルリン大学で社会学を専攻した[6]。1924年、家督を相続した[4]。
農業[4]、製材業[6]を営み埼玉県多額納税者となった[4]。大河村信用組合長[1]、小川無尽[7]、横川製材各社長[8]、武州本場絹織物工業、比企繭販売利用各組合長[6]などをつとめた。
1927年3月28日、第15回衆議院議員総選挙の埼玉県第3区補欠選挙で衆議院議員に当選[9]。立憲政友会に所属した[4]。1931年、犬養内閣が成立すると、商工大臣秘書官に任じ、従五位に叙せられる[2]。1939年、阿部内閣商工政務次官に就任した。
1945年に日本林業会長となる[3]。戦後、公職追放となり[10]、1951年に追放解除された[11]。追放解除後は1952年の第25回衆議院議員総選挙と1955年の第27回衆議院議員総選挙で2回当選した。1952年8月7日、日本共産党の人物に襲撃され、重傷を負った(横川元代議士襲撃事件)。1952年に武蔵野銀行取締役となり、1957年に相談役となる[3]。1964年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲二等旭日重光章を追贈された[12]。
