櫛引城
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(青森県) | |
|---|---|
| 城郭構造 | 平城 |
| 天守構造 | 不明(非現存) |
| 築城主 | 四戸氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 櫛引氏 |
| 廃城年 | 天正20年(1592年) |
| 遺構 | 曲輪、堀 |
| 指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
| 埋蔵文化財 包蔵地番号 | 青森県No.203150「櫛引遺跡」[2] |
| 位置 | 北緯40度28分38.8秒 東経141度25分56.3秒 / 北緯40.477444度 東経141.432306度座標: 北緯40度28分38.8秒 東経141度25分56.3秒 / 北緯40.477444度 東経141.432306度 |
| 地図 | |
構造
歴史
築城年間は不明。櫛引氏の居城。
最初は根城南部氏に仕えていたが、南部守行の統治の頃には三戸南部氏を主と仰いでいた。永禄10年(1567年)、櫛引氏が八戸政栄の留守中にその所領を侵略し、近隣に放火したため、元亀2年(1571年)、八戸氏の軍勢によって櫛引城は攻撃を受けた。東政勝が櫛引氏を支援したものの、櫛引勢は降伏した。
天正19年(1591年)の九戸政実の乱に際し、当主櫛引清長と弟清政は九戸方に加担し、浅水城・苫米地城・根城・是川館の諸城館を攻撃したあとに九戸城に入城するが、豊臣秀次に率いられた奥州再仕置軍によって打ち取られ、清長は戦死、清政は九戸政実とともに降伏し、三迫松尾村で斬首されて櫛引氏は滅亡、櫛引城もまた根城南部氏の攻撃を受けて敗れ去った。
