段谷の戦い
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費禕の死後、蜀の衛将軍姜維は自ら大軍の指揮を執り、北伐を開始した。253年(延熙16年)、武都より進撃して南安に籠る陳泰を包囲したが、兵糧が尽きて撤退する。翌254年(延熙17年)には隴西へ出撃し、狄道県の李簡が密かに降伏を願い出たのを皮切りに魏の将徐質を破るなどの戦果を挙げ、河関・狄道・臨洮の三県の住民を蜀に連行した。このとき張嶷が陣没している。
さらに翌255年(延熙18年)には車騎将軍夏侯覇とともに狄道に進出し、洮水の西で雍州刺史王経を撃破して魏兵数万人を殺した。王経は狄道城に逃げ、姜維はそれを追う。蜀の鎮南大将軍張翼は「追撃すべきではない」と言ったが姜維はこれを聞き入れず狄道城を包囲した。しかし魏の征西将軍陳泰が救援に来たので退却した。(狄道の戦い)