洞浦の戦い
From Wikipedia, the free encyclopedia
魏は辛毗と桓階を派遣して呉に臣従を迫り、併せて人質を要求したが、孫権は応じなかった。曹丕はこれを口実として、呉に親征を開始した。
222年9月、曹丕は許昌から出撃し、他の諸将の軍も一緒に南下を開始した。
同年11月、曹丕は宛城に入り本営とし、董昭は曹丕の軍師を務めた。曹休には九州の二十余軍(約10万以上の兵力)が与えられ、曹休は張遼・臧覇・賈逵・王淩らを率いて洞口へ侵攻し、趙儼は曹休の軍師として進軍した。さらに曹真・夏侯尚・張郃・徐晃らを江陵にそれぞれ派遣し、辛毗は曹真の軍師として従軍した。曹仁を濡須口に、蔣済は曹仁の軍師として随行した。これに対し、孫権は呂範に五軍(2~3万人)を与え、呂範は徐盛・全琮・孫韶・吾粲・賀斉らを率いて洞口で魏軍と対峙した。濡須口では朱桓が、江陵では朱然が防衛にあたり、呉軍は防備を固めた(濡須口の戦いも参照)。