永田泰次郎

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永田泰次郎

永田 泰次郎(ながた やすじろう、1867年1月26日慶応2年12月21日) - 1923年大正12年)1月27日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将 正四位 勲二等 功三級に至る[2]

永田健助の長男として江戸に生まれる。攻玉社から慶應義塾幼稚舎に移り、大人部に移る。海軍兵学校15期)に転じ少尉候補生として登用される。その後海軍兵学校教官となり南清各地を視察。1903年(明治36年)、常備艦隊幕僚となり日露戦争中は東郷平八郎大将の幕僚副官となり参謀部にあり。戦争終結ののち海軍省出仕となり勲三等に叙す。出雲艦石見艦の副長となり、第一、第二駆逐艦隊司令官として横須賀に滞在。神戸高等商船学校長に在職中に死去。

栄典

脚注

参考文献

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