平井泰太郎
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兵庫県神戸市出身。1918年神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業し、東京高等商業学校(現一橋大学)商工経営科に進学。1920年に卒業して、商学士の学位を取得した。同期に福田敬太郎第3代神戸大学学長がいる。上田貞次郎門下。神戸高等商業学校講師となり、1921-1925年欧米に留学し、ベルリンでハインリヒ・ニックリッシュに、ライプツィヒでバルドウィン・ペンドルフに、フランクフルトでフリッツ・シュミットに師事。留学中1923年に教授となる。
同時期に留学していた同僚の八木助市、坂本彌三郎、田中金司、石田文次郎、北村五良、五百籏頭眞治郎や、東京高等商業学校の本間喜一、渡邉大輔、大塚金之助、金子鷹之助、井藤半彌、吉田良三、名古屋高等商業学校の宮田喜代蔵、赤松要らと、日本料理店や日本人クラブで研究会を開いたり将棋をしたりするなどして交流した[1]。
1926年上田貞次郎らとともに日本経営学会を創設した。1946年には同会理事長を務めた[2]。新制神戸大学発足後、商学部の設立を主張する福田敬太郎との論争を経て、1949年に日本初の経営学部を設立、同教授に就任。1951年経営学博士の学位を取得[3](日本初の経営学博士)。1956年経営学部長に就任。1960年定年退官し、名誉教授となる。
1961年国際経営会議(CIOS)フェロー。1967年に立正大学経営学部教授に就任。
1968年日本経営診断学会を設立し、初代理事長・会長をつとめた。経営学上の学術語を多く創作した[4]。
門下に市原季一、山下勝治、阪本安一、丹波康太郎、戸田義郎、久保田音二郎、米花稔、栗田真造、大塚俊郎、清水晶、三上富三郎、伊藤森右衛門、今井信二、木内佳市、山桝忠恕、井上忠勝、森昭夫、鈴木和蔵、眞野脩等がいる[5][6][7]。