沢田一郎
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東京府出身。東京府立一中(現在の東京都立日比谷高等学校)などを経て、1918年に東京帝国大学法学部政治学科卒業。東大在学中に主に陸上競技中距離選手として活躍し、走高跳、800mで日本記録を出す。1917年には、地元東京で開催された第3回極東選手権競技大会の880ヤード(メートル法の800mに相当)に出場し、3位となった。
卒業後は三井物産に入社した。ニューヨーク支店に勤務中、ニューヨークに合宿に来た1920年アントワープオリンピックの日本選手団の世話係を務めている[1]。1924年(大正13年)、パリオリンピック日本選手代表団監督となる[1]、
1949年にヤナセに移る。
スポーツ界の役職として、日本体育協会理事や日本オリンピック委員会 (JOC)委員も務めた。
