大串啓二
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佐賀県立佐賀農業高等学校を卒業後、佐賀県立白石高等学校の定時制に1年通学して東京教育大学へ進学[2]。
東京教育大学時代は第10回国民体育大会(1955年、神奈川県)で男子400mハードルで優勝したのを始め[3]、400m走とハードルの二刀流で活躍、大学時代には1956年メルボルンオリンピックに出場[4]。そのメルボルンオリンピックでは男子400mハードルに出場、53秒22【電気計時】の日本学生記録(当時)を樹立した[5]。
1957年の世界大学スポーツ選手権(フランス・パリ)[注 1]陸上競技の男子400mハードルで銅メダル(3位)を獲得している[6]。
東京教育大学卒業後は教職へ進んだが、旭化成が静岡県富士市に陸上競技部を設立(後に本拠地を宮崎県延岡市へ移転)した際に誘いを受けて旭化成に入社して競技を続ける[7]。旭化成の選手として1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピックに出場[4]。1962年アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)では男子400mハードルで金メダルを獲得[8]。東京オリンピックでは陸上競技日本代表主将を務めた[9]。
引退後は旭化成で指導者となり、宗茂・宗猛兄弟を始めとする後進の指導に当たると共に、日本陸上競技連盟理事・総務委員長などを務め、ソウル・バルセロナのオリンピックニ大会連続で陸上競技日本代表監督を務める。その後は日本陸上競技連盟顧問、東京陸上競技協会副会長などを歴任した[1]。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- 1 2 “白石町ホームページ |白石町ゆかりの人”. 白石町. 2019年10月28日閲覧。
- ↑ “=ふるさと讃歌=大串啓二さん、小川瀬奈さん”. 佐賀新聞LIVE. 佐賀新聞社. 9 June 2015. 2020年4月24日閲覧.
- ↑ “国民体育大会” (PDF). 日本スポーツ協会. p. 48. 2020年4月24日閲覧。
- 1 2 “大串啓二”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月24日閲覧。
- ↑ “日本学生記録の変遷 男子400mH” (HTML). 日本学生陸上競技連合 (2020年1月1日). 2020年4月24日閲覧。
- ↑ “ユニバーシアード大会 過去の成績(夏季)” (HTML). 日本オリンピック委員会 (2020年1月1日). 2020年4月24日閲覧。
- ↑ “元旭化成ホームズ社長・会長 故土屋友二氏の「お別れの会」に400名” (HTML). 日本不動産野球連盟RBA野球大会 (2014年12月12日). 2020年4月24日閲覧。
- ↑ 「目標は“東京オリンピック”」『広報ふじ』、静岡県富士市、1962年10月1日。
- 1 2 「青春の火は燃ゆ(マスターズのページ)訃報」『陸上競技マガジン』、ベースボール・マガジン社、2020年5月、175頁。
陸上競技アジア競技大会金メダリスト – 男子400mハードル | |
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全日本実業団対抗陸上競技選手権大会男子400m優勝者 | |
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全日本実業団対抗陸上競技選手権大会男子400mハードル優勝者 | |
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