沢田昭夫
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1928年(昭和3年)10月5日、米国・ワシントンD.C.で生まれる。代父を務めたのは当時駐米フランス大使であったポール・クローデルで、洗礼名「パウロ」は彼に因む[1]。
米国、フランス滞在約5年を経て日本に帰国し、暁星、成城に通った[2]。
1940年代にはロゲンドルフ神父に勧められて、ロンドン大学のチェインバズ教授の『モア伝』を熟読し、これがトマス・モア研究へとつながった[2]。太平洋戦争(大東亜戦争)中の1945年(昭和20年)5月25日は、米軍による東京大空襲で家族とともに青山墓地に避難。表参道北端、明治神宮、代々木方面に避難した親族の一部は重度の熱傷を負い、青葉町(神宮前)にあった自宅は全焼した。その後、親戚を転々として鎌倉の借家に住んだが、通学が困難だったために上智大学の聖アロイジオ塾に移って、早朝ミサから夕の祈りまでと典礼と一体の生活を送った[2]。
1946年(昭和21年)には聖アロイジオ塾の裏庭で後にカトリック浦和司教区司教となった長江恵神父に出会い、ファンとなってムニエ―の作品や労働司祭、解放の神学関係の本を読むと同時に『赤旗』の愛読者でもあった[2]。
1951年(昭和26年)に東京大学文学部西洋史学科を卒業後、米国・フォーダム大学、コーネル大学で修士課程を経て、コーネル大学で修士号取得。更に英国・ロンドン大学、西ドイツ・ボン大学で博士課程に進み、ボン大学で文学博士を取得した。1967年(昭和42年)南山大学教授。同外国語学部長を経て、1977年(昭和52年)に筑波大学教授。同国際関係学類初代学類長、日本大学教授を経て、1989年(平成元年)に筑波大学名誉教授。文藝春秋の『諸君』、『月曜評論』(保守系ミニコミ誌、2004年休刊)などへの執筆が多く、保守系論客として知られ、新しい歴史教科書をつくる会に賛同者として名を連ねた[3]。
2015年(平成27年)3月24日、出血性ショックにより死去[4]。