法界寺
京都市伏見区にある寺院
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歴史
当寺は醍醐寺の南方、宇治市との境界に近い、京都市伏見区日野に所在する。日野は『方丈記』の著者である鴨長明の住んだ地であり、親鸞の生誕地としても知られる。かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は日野家の領地であった。日野家は藤原北家の一族で、儒学や歌道をよくした家柄である。
寺伝によると、弘仁13年(822年)に比叡山延暦寺に戒壇の建立が認められると、その勅使として藤原家宗が延暦寺に赴いてその旨を伝えた。すると、知らせを聞いた天台座主・円仁は大変喜んで、最澄自らが彫ったという薬師如来像の小像を家宗に譲ったという[2]。
小像を譲り受けた家宗はそれを祀っていたが、その後永承6年(1051年)に4代後の日野資業が薬師如来像を造ってその小像を胎内におさめ、薬師堂を建立したことが当寺の始まりであるという[1]。しかし、これとは別に家宗が弘仁13年(822年)に最澄自作の薬師像を本尊とし、最澄を開山として一族の氏寺として当寺を建てた、という話もある。
その後、平安時代後期の阿弥陀信仰の高まりや末法思想の普及にともない、当寺にも阿弥陀堂が建てられた。当時は観音堂や五大堂など幾つかの堂があったが承久の乱の戦火に巻き込まれて罹災し[1]、現存するのは阿弥陀堂のみである。平安時代後期の当寺には、当時の日記等の記録で判明するだけで少なくとも5体の丈六の阿弥陀如来像が存在したことがわかっている。現在、阿弥陀堂に安置される像がそのうちのどれに当たるかは判明していない。
室町時代には室町幕府将軍・足利義政の御台所・日野富子も当寺で安産祈願をしたと伝わっている[1]。
浄土真宗の宗祖である親鸞は、承安3年(1173年)に日野有範の子として当寺で生まれたとされている[2]。
当寺の東には、親鸞の生誕地にちなんで江戸時代に創建された日野誕生院がある。また、付近には日野一族の墓が建ち並ぶ日野御廟所がある。
境内
- 薬師堂(重要文化財)
- 本堂。1904年(明治37年)、奈良県斑鳩町竜田にあった伝燈寺の本堂を移築したもの。棟札から室町時代、康正2年(1456年)の建築だと分かる。上述の伝燈寺は龍田神社の神宮寺であったが現在は廃絶している。本瓦葺寄棟造、内部は内陣が格天井、内陣が折上格天井である。本尊で重要文化財の秘仏・薬師如来立像は平安時代後期の作。高さ88センチメートル、桜材の寄木造。桜材を用いるのはこの時代では珍しい。右手を施無畏印、左手を右手の高さ近くまで持ち上げて薬壺を持つ。秘仏だったため、着衣の切金模様がよく残っている。胎内に最澄が彫ったとされる小像を納めていることから、胎児を宿す婦人の姿に重ねられて妊産婦からの信仰を集め、安産や授乳のご利益をもつ「乳薬師」として古くから信仰を集めている[1]。現在も、薬師堂の格子戸には全国各地の母親から願い事が書かれたよだれ掛けが奉納され、堂の内側が見えないほどである。脇侍として日光菩薩・月光菩薩(鎌倉時代の作)が同じ厨子に安置されている。厨子の正面には鏡が貼り付けられているため開かず、拝観は横からのみである。本尊を安置する厨子の左右にはさらに2つの厨子があり、鎌倉時代の十二神将像が6体ずつ安置されている。像高60センチメートル余りの像であるが躍動感に富み、頭にはそれぞれ十二支のを象った彫り物が付いている(本尊、十二神将ともに非公開)。薬師如来立像は秘仏であるが、2016年(平成28年)4月29日から同年5月8日まで「京都非公開文化財特別公開」の一環として開扉され、新聞報道等によれば、51年ぶりの公開である[3][4][5]。
- 阿弥陀堂(国宝)
- 鎌倉時代初期の建築。承久3年(1221年)の兵火で焼失後、まもない頃の建立と推定される。方五間(間口、奥行ともに柱間の数が5間)の身舎(もや)の周囲に1間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造(ピラミッド形)で檜皮葺きである。裳階の屋根は正面側の中央三間分を一段高く切り上げる。裳階部分は壁や建具を入れず吹き放ちとする。身舎の正面は五間とも蔀戸(しとみど)である。身舎内部には国宝の本尊阿弥陀如来坐像を安置し、本尊を囲むように四天柱(方形をなすように配置された4本の柱)が立つのみで間仕切りはない。平面構成は阿弥陀如来の周囲を人々が歩いてめぐりながら念仏を唱える常行三昧堂の形式を伝える。身舎柱と四天柱の柱筋が一致せず、四天柱の外側の空間を広くとる点にこの堂の特色がある。四天柱の表面や、柱上の小壁には極彩色で彩られた創建当時の絵画が残る[6][1]。
- 鐘楼
- 庫裏
- 池
- 大師堂
- 山門
- 日野御廟所 - 境内の外にある。日野一族の墓が建ち並んでいる。
- 山門
- 庫裏
文化財
年中行事
日野の裸踊り(1月14日) - 阿弥陀堂広縁で、少年・青壮年の2組に分かれ、裸で両手を合わせて「頂礼、頂礼」ともみ合う奇習。
前後の札所
所在地
- 京都府京都市伏見区日野西大道町19



