法蔵 (唐)
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康昌国に康徳啓の子として生まれた。智儼(ちごん)に華厳経を学び、咸亨元年(670年)勅命を受けて出家した。宮廷の庭先にあった鍍金青銅の獅子を指し、金属は理(本質)、獅子は事象といえるが、事象は本質と不即不離である(彼の講義録『金師子章』参照)と説き、武則天の庇護を受けて華厳教学を宣揚し、西安郊外の法門寺に仏舎利を迎え、大原寺に住んだ。弟子の義浄に与えた書簡が現存し有名。華厳教学の実質的な大成者となった。 華厳宗の第三祖、太唐大宗皇帝の貞観十七年に生る、当時、晋代訳の『華厳経』は内容に欠くところがあったので、于闐国に原本を索め、実叉難陀、菩提流支等重ねてこれを訳する時、これに与る、のち大原寺に華厳の宗旨を開示し帝の称讃を受け、京城の十大徳に数へらる、その著述中『旧訳華厳経』の註訳たる『探玄記』二十巻は最も有名で、『起信論義記』三巻、『五教章』三巻みな広く仏学者の間に研鑽される、華厳宗の教学は実に此の菩薩によって大成されたといえる。玄宗皇帝の先天 元年十一月十四日入寂、香象大師はその敬称である(仏教辞林) つまり、実叉難陀の華厳経80巻の訳出や義浄の訳経などに関与した。弟子には文超・慧苑などがいる。