津田富士男
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2代目本栖チャンプの37期生[1]としてデビューし、史上2人目となるデビュー期6点勝率でのA級昇級[2]を決め、1980年代にはスタートと同時に1マークに向かって絞っていく「絞りまくり」[3]で一世を風靡[4]。
GI8勝は養成所チャンプでは太田和美・高山秀則・田村隆信・池田浩二に続き[5]、特に尼崎で1984年の開設32周年[6]、1988年と1992年に開催された近畿地区選手権競走[7]を優勝。
1987年には常滑開設34周年記念「全国争覇特別競走」で優勝し[8]、1988年8月9日の第34回モーターボート記念競走(浜名湖)では松野寛の2着[9]に入った。
1998年11月7日の住之江一般戦「第33回阪神杯」で刀根辰治らを差し切ったのが[10]地元での最後の優勝[11]となり、1999年には唯一の優出[12]となった12月5日の浜名湖一般戦「中日スポーツ ファイナルカップ」でB1レーサーながら服部幸男・荘林幸輝に次ぐ3着[13]に入った。
2000年には19度の優出で2着4回を記録し[14]、2001年1月18日の常滑一般戦「スポニチ杯争奪 第17回英傑戦」で黒明良光らを抜いて優勝[15]。
2001年3月4日の鳴門「一般競走」で玉生正人らを捲り差して[16]最後の優勝[11]を飾り、2003年3月16日の戸田一般戦「第19回内外タイムス杯競走」(4号艇3コース進入で6着)が最後の優出[17]を記録[18]。
2003年9月11日の徳山一般戦「周南市長杯争奪戦」2日目に3R(6号艇3コースから進入)で転覆し、当日の11Rを事前欠場して、同年限りで現役を引退[19] [18]。
引退後の2004年からはスポーツニッポン評論家[20]を務め、住之江の場内FM「アクアライブステーション」に出演[21]するほか、ボートピア京都やわたに予想屋として所属[22]。