浜田雄史
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京都に生まれる。同志社大学の出身[1]。進藤健二の紹介で大映京都の助監督の試験を受けるが、1954年(昭和29年)俳優として入社[2]。芸名は父親の名前(浜吉)から取ったという[2]。
1954年(昭和29年)『花の白虎隊』でデビュー(ノンクレジット)。同作では主演の市川雷蔵を始め、勝新太郎、花柳武始などの新人俳優が同時デビューしている(勝新太郎の本名は、奇しくも浜田の本名と読みが全く同じ「奥村利夫」。1931年11月29日生まれと、生年月日も浜田と近い)。
デビュー以後、時代劇を中心に脇役として出演。市川雷蔵との共演作が比較的多いが、雷蔵の吹き替えも多く務めた[2]。『第三の影武者』(1963年)では雷蔵演じる城主の“第二の影武者”役が浜田本来の役だが、更に雷蔵が一人二役で演じる“第三の影武者”の吹き替えをも担当している。すなわち、城主(雷蔵)と第三の影武者(雷蔵)が同時に写るシーンにおいて、片方の役は全て浜田が担っており、浜田は後にこの役を振り返って「二人とも同じような顔立ちだから、同じ付け眉毛をしたら誰も分からへんかった」と明かしている[2]。「市川雷蔵を偲ぶ会」の取材で雷蔵の人となりを問われた際には、「真面目で、おとぼけさん。タイプがよく似ている。だから黙っていても考えていることが分かるぐらい」と述懐[3]。
市川雷蔵の遺作『博徒一代 血祭り不動』(1969年)や、大映京都の最後の作品『蜘蛛の湯女』(1971年)にも出演。大映倒産後はテレビに活動の場を移し、数多くの時代劇にゲスト出演した[4]。
1956年(昭和31年)頃、同じ大映の女優、里中位子(たかこ)と結婚(のちに離婚)している。
脇役専門であった大映時代については、「あの時分に実力を持っていたらね、ちゃんとした監督さんやら、もっと可愛がってくれはったんやけど。今、やっぱり悔やみますね」と語っている[2]。
2020年(令和2年)の雑誌インタビューで、大映出身の俳優であった伴勇太郎が浜田について次のように回想している。「浜田雄史は『花の白虎隊』でデビューして最初はいい役もらってたけど、まぁ厳しい先輩というかクセの強い京都人で、ギャンブル好き」。競馬場で顔を合わせることが多かったとのこと[5]。
2011年(平成23年)11月14日午後8時43分、前立腺がんの為、京都の自宅で死去[6]。最後に出演した映画は、2004年(平成16年)の『跋扈妖怪伝 牙吉』。